- 著者
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大下 祥枝
- 出版者
- 沖縄国際大学
- 雑誌
- 沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
- 巻号頁・発行日
- vol.9, no.1, pp.1-111, 2005-12-30
本稿は、バルザックの5幕劇『継母』の上演計画と翻案をとおして、この戯曲の受容が時代と共にいかに変化していったかを考察したものである。『継母』は1848年5月に歴史劇場で初演され、1859年にはヴォードヴィル座で公演が行なわれた。フランス座でも実行される迄には至らなかったものの、この作品の上演計画が1851年と1854年と1900年に持ち上がっており、バルザックの戯曲への関心が高かったことを窺わせる。1851年のものに関しては、1848年刊行の初版本に劇場側が配役や、台詞の削除等を書き込んだ記録が残されている。『継母』は1859年の公演以来90年間のブランクを経て、1949年10月にリヨンのセレスタン劇場で舞台にかけられた。上演に際し、演出家兼主演役者のシャルル・デュランは、翻案をシモーヌ・ジョリヴェに委ねた。本稿では、1851年に手直しされた台本、および1949年の翻案を取り上げ、それらと原作を比較しながら、当時の関係者による作品解釈の仕方を探ってみた。コメディー=フランセーズ付属図書館所蔵の初版本の余白記載を調べると、初演時とは異なる配役が予定されていたことが判る。新たな台詞の加筆はどの場面にも見当たらない。総計64場のうち、25場に削除箇所があり、11場は完全に省かれている。フランス座は原作を出来うる限り短縮しようとしたようだ。娘と継母が一人の男性を巡って死闘を繰り広げるという主要テーマについては、娘の従順さと継母の厳しさのみが強調された結果、その当時よく演じられていた平凡な悲劇に変質した印象は免れない。バルザックはこの戯曲によってブルジョア家庭の真の姿を明るみに出そうとしたのであるが、父親と娘の重要な対話なども大幅に削除された1851年版では、作者の意図が生かされないまま最終幕を迎えている。セレスタン劇場での公演はシャルル・デュランの病気のために5日間しか続かなかったが、どのような内容の翻案であったのだろうか。作品全体は3幕で構成されており、1幕目は原作の1幕と2幕目、2幕目は3幕と4幕目、3幕目は5幕目をそれぞれ基礎としている。しかし、脚本家は脇台詞や、筋を煩雑にする場面を出来うる限り省くと同時に、最終場での新しい展開を予告する台詞を随所に挿入しているのである。登場人物に関しては、名前がアガトに変更された継母に原作のジェルトリュードのような強烈な性格付けをしていない点と、医者のヴェヌロンに大きな役割を与えている点が我々の目を引く。アガトと彼女に操られる夫の将軍が敵役で、彼らが窮地に追い込んだ娘ポリーヌを救出するために動き回るヴェヌロンをヒーローと看徹すことができる。演出ノートには、役者の演技の詳細な指示の他に、人物の所作や台詞を強調しながら場面の雰囲気を盛り上げる音楽を演奏する箇所が記されている。脚本家は作品の構成と演出の面から、原作を観客の共感を得やすい古典的メロドラマに変えてしまったのではないだろうか。原作を読まずにこの舞台を見た観客は、批評家から称賛された優れた演出と役者の見事な演技に魅了されたことであろう。確かに、バルザックの劇作品に頻出する脇台詞と説明的な長台詞を適度に整理することは必要であるが、作品の主要テーマに連なる場面は残すべきであろう。1851年の上演計画と1949年の翻案を調査した結果、前者は平凡な悲劇に、後者は一世紀前に流行った古典的メロドラマに内容を変更しており、「生活の中の真実」描写が実現されているバルザックの原作と重ならない部分が目立つのである。劇作品の受容は、その時代の世相や観客の好みを反映しているともいえよう。