著者
Willcox Donald Craig
出版者
沖縄国際大学総合学術学会
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.1-16, 2007-07

20世紀、先進国においては平均寿命の性差が広がり、女性が男性を大きく引き離すようになった。ところが1970年代になると、性差が逆に縮小を始め、多くの先進国で性差が縮まっていった。その傾向にありながら、日本は例外的に性差がますます広がりつつある。沖縄県は、県民の平均寿命が高いことで知られてきた。しかしながら、最近では日本全国と比較すると平均寿命の延びが鈍化し、沖縄男性の平均寿命においてはもはや全国の平均寿命を下まわる。2000年に厚生労働省から発表された「都道府県別平均寿命」で沖縄県の男性の平均寿命が47都道府県の全国の内26位に順位を落としたものの、女性は平均寿命1位を維持し、男女間では大きな差がみられる。本研究の目的は、沖縄と本土における平均寿命の性差の要因となる死亡率と年齢層の関係を明らかにすることである。本研究は1975年から2000年にかけての生命表及び人口動態統計を主に参考文献とした。その結果1975年から2000年もの期間において、男女共に沖縄は本土よりも平均寿命の伸びが鈍化したことを示した。さらに、この25年間の期間で、沖縄(6.81年から8.37年)と本土(5.22年から6.91年)両方で男女間における平均寿命の差が大きく広がった。現在における平均寿命の延びは男女共に、特に75歳以上の高齢者の死亡率の低下が大部分を占める。沖縄と本土において、循環器疾患(心疾患および脳血管疾患を含む)の死亡率の低下が平均寿命の延びに貢献した。しかしながら、循環器疾患の低下は、全国と比較して長寿だとされる沖縄よりも本土が顕著である。6大死因による死亡率は、全てにおいて女性より男性が高く、特に、不慮の事故(交通事故を含める)及び自殺率が高い。沖縄の男女間における平均寿命の大きな性差は、男性の悪性新生物(特に肺の悪性新生物)、比較的に高い比率の循環器疾患及び自殺などが重要な要因である。
著者
大下 祥枝
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.1-78, 2001-10-31

1942年3月に映画『ランジエ公爵夫人』が公開された直後,ジャン・ジロドゥーはそのシナリオ集といえる作品『バルザック原作"ランジエ公爵夫人"のフィルム』を発表した。翻案を手掛けたジロドゥーが原作をいかに理解して映像化に至ったかを解明するために,シナリオ集を基軸にしながら小説と映画の比較検討を試みた。映画は,大粋において原作の筋の流れを踏襲しているといえる。しかし,主要な二つの場面で両者の間に大きな相違点が見いたされる。一つ目は,純粋な恋愛感情を弄んだとして,モンリヴォー将軍がアントワネット・ド・ランジエ公爵夫人に復讐する場面である。映画のなかでは舞踏会で繰り広げられる。大勢の人が見守るなか,彼らの友人も巻き込んだ応酬合戦が続く。原作と同様にシナリオ集とその手稿では,モンリヴォーが彼の家で夫人を一方的に激しく非難する設定になっており,台詞の内容も映画とかなり異なっている。主役を演じた役者と監督の要望で,映画にのみ見られる状況に変更されたと考えられる。二つ目は,テレーズ修道女となって身を隠していた公爵夫人を将軍が救出する箇所である。映画では修道院の中庭で展開し,テレーズ修道女がモンリヴォーの腕に抱かれ,膠朧とした意識のなかで彼の愛情を確認している。原作とかけ離れたこれらの場面については,数多くの批評が寄せられている。ジロドゥーの翻案の特徴は,まず第一に洗練された台詞をあげることができる。役者の巧みな台詞回しと相挨って,単語のひとつひとつが観客の耳に心地よく響くのである。第二に登場人物の多様さを指摘できる。貴族から庶民に至るまで,様々な階級の人物が主人公だちと言葉を交わし,物語の内容に深みを与えている。第三は音を効果的に使用していることである。モンリヴォーがアントワネットを見つけ出す手掛かりとして選んだのが彼女の歌声であり,その他,場面の展開と密接な関係を持つ種々の音色が選ばれている。早くから映画に関心を寄せていたジロドゥーは,独自の手法を駆使しながら,処女作であるこの翻案によって,彼自身が理解したバルザックの世界を銀幕上で描き,文学作品と映画の橋渡しを見事に果たしたといえる。[付記]本論は,パリXII大学に提出した学位請求論文の第4部第2章"De Balzac a Giraudoux"に加筆・修正を施して仕上げたものである。
著者
上江洲 薫
出版者
沖縄国際大学総合学術学会
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.75-91, 2014-03

本研究では、沖縄県宮古島市におけるダイビング客への協力金の支払い求める協議会と募金を活用 した新たな産業化への取り組む NPO の活動を行う2つの環境基金の取り組みを考察し、離島の観光地域におけ る環境基金を活用した環境保全活動の特性とその活動の持続可能性を明らかにすることを目的とした。また、 筆者は以前に、石垣島における環境基金の活動特性を明らかしたが、本研究ではそれについて宮古島と比較検討を行う。
著者
末吉 重人
出版者
沖縄国際大学総合学術学会
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.113-133, 2005-12

A Leprosy Sanatorium, known as "Okinawa Airakuen" of Yagaji, Nago City was established in 1937 by AOKI Keisai, a former member of Anglican Church hospital named Kaisyun Hospital located in Kumamoto Prefecture. The formation of "Okinawa Airakuen", a leprosy sanatorium was not an easy task. AOKI encountered many problems in the process of establishing the sanatorium. One main problem was the ignorance about the disease of leprosy at that time; and the negative implications of leprosy in terms of social and religious point of view in Okinawa. In 1958, AOKI Keisai wrote a book entitled "The Chosen Island'. In this book, AOKI described his trials and tribulations in the founding of leprosy sanatorium, "Okinawa Airakuen". He also elaborated in his book, his own personal experience and belief about Buddhism and Christianity and leprosy. The Chosen Island was published in 1958 with 200 copies in circulation. It was not intended for sale. After a decade, and before AOKI died in 1968, he wished to Reverend WATANABE Nobuo of Tokyo Confession Church, and requested him to reprint the The Chosen Island indirectly. In 1972, Reverend WATANABE edited and published the first reprint of The Chosen Island; and to date it is now on its fifth printing. However, there was a discrepancy and difference between the original The Chosen Island and the reprint edition. And according to Reverend WATANABE in his commend he made in the book, that the 1972 version, is not the reprint of the first edition; and new ideas have been added for the purpose of attracting wider readers. Aside from this, few pages from the origin book of AOKI Keisai's, The Chosen Island have been deleted. The pages that have been deleted from the original book, made the reprinted edition different from the original The Chosen Island in content and substance. Whether it was a conscious or unconscious effort on the part of Reverend WATANABE to ignore the important points of The Chosen Island is part of this research.
著者
波平 勇夫
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.23-60, 2006-03-31

本稿は戦後沖縄都市形成の典型をコザ市(現沖縄市)に求め、米軍占領期間の都市展開を(1)人口集中化、(2)都市空間の出来事、(3)新階層としての基地労働者と軍用地地主の形成から戦後沖縄都市史をとらえることを目的とする。そして米軍基地に従属して形成された「基地の町」が外部都合によって左右され、自らになれないまま漂流する軌道を明らかにする。
著者
大下 祥枝
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.1-39, 2004-12-30

バルザックの5幕劇『継母』は、1848年5月に歴史劇場で初演された。その稽古の最中に作家は、戯曲を通して何を訴えようとしたのか、以下のように述べている。「新しいこと、それは生活の中の真実を描くことである。簡素で平々凡々と営まれている家庭が舞台にかけられているが、その営みのもとで恐ろしいドラマが展開するのである。」この『継母』を取り上げた小論は二部構成になっており、本稿の第一部では、主としてテキストを中心とする調査方法に則り、「生活の中の真実」を観客に実感させるためにどのような工夫が凝らされているかを探ってみた。第I項で作品分析を試み、第II項から第VII項において、主要テーマ、場面展開の方法、登場人物の構想、使用語彙の特徴、小道具、タイトルとサブタイトルに関して、順次考察を加えた。主要人物四人の性格付けや、彼らを取り巻く人物たちの行動パターンの調査によって、若き男女が服毒自殺に追い込まれる悲劇的な結末は避けられないものであったと考えられる。台詞に使われている単語の類型化を通して、次のような特徴が明らかになった。結婚や恋愛に関する表現は、戯曲のテーマに添う形で多く用いられているが、同時に、娘と継母が一人の男性を巡って死闘を繰り広げる場面に呼応して、闘争や生と死に関連する単語も全編にちりばめられている。さらに、一家の主人を除く全員が何らかの秘密を持っているという設定のため、秘密の保持と暴露を表わす単語や、罪と罰に関するものもかなりの頻度で見られる。人物の行動や精神状態を反映させた単語を駆使し、家庭内の一つの事件の展開に現実味を与えながら大団円へと導く作家の手法を見て取ることができる。「生活の中の真実」描写を小説作品で試みてきたバルザックは、それを晩年の戯曲においても実現しているといえよう。タイトルの『継母』とサブタイトルの「私的なドラマ」については、それらが戯曲の内容を的確に表現しているか否かを、同時代の戯曲や辞典類を参考にしながら検討した。バルザックは当初、戯曲を『ジェルトリュード、ブルジョアの悲劇』と呼んでいた。タイトルとしては、そのヒロインの名前をとった『ジェルトリュード』が、そしてサブタイトルは後で付けられた「私的なドラマ」が、この戯曲に合致していると考えられる。なお、小論の第二部では、『継母』の成立に影響を与えたと考えられる他作家の作品、ならびにバルザックの劇作品や小説作品について考察した後、戯曲の公演の様子を再現するために新聞・雑誌の記事を調査する。最後に、1949年にシャルル・デュランがグランシャン将軍役を演じた『継母』のシナリオと原作との比較検討も試み、初演から一世紀を経た時、いかなる形で作品が受容されているかを明らかにする予定である。
著者
大下 祥枝
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.1-111, 2005-12-30

本稿は、バルザックの5幕劇『継母』の上演計画と翻案をとおして、この戯曲の受容が時代と共にいかに変化していったかを考察したものである。『継母』は1848年5月に歴史劇場で初演され、1859年にはヴォードヴィル座で公演が行なわれた。フランス座でも実行される迄には至らなかったものの、この作品の上演計画が1851年と1854年と1900年に持ち上がっており、バルザックの戯曲への関心が高かったことを窺わせる。1851年のものに関しては、1848年刊行の初版本に劇場側が配役や、台詞の削除等を書き込んだ記録が残されている。『継母』は1859年の公演以来90年間のブランクを経て、1949年10月にリヨンのセレスタン劇場で舞台にかけられた。上演に際し、演出家兼主演役者のシャルル・デュランは、翻案をシモーヌ・ジョリヴェに委ねた。本稿では、1851年に手直しされた台本、および1949年の翻案を取り上げ、それらと原作を比較しながら、当時の関係者による作品解釈の仕方を探ってみた。コメディー=フランセーズ付属図書館所蔵の初版本の余白記載を調べると、初演時とは異なる配役が予定されていたことが判る。新たな台詞の加筆はどの場面にも見当たらない。総計64場のうち、25場に削除箇所があり、11場は完全に省かれている。フランス座は原作を出来うる限り短縮しようとしたようだ。娘と継母が一人の男性を巡って死闘を繰り広げるという主要テーマについては、娘の従順さと継母の厳しさのみが強調された結果、その当時よく演じられていた平凡な悲劇に変質した印象は免れない。バルザックはこの戯曲によってブルジョア家庭の真の姿を明るみに出そうとしたのであるが、父親と娘の重要な対話なども大幅に削除された1851年版では、作者の意図が生かされないまま最終幕を迎えている。セレスタン劇場での公演はシャルル・デュランの病気のために5日間しか続かなかったが、どのような内容の翻案であったのだろうか。作品全体は3幕で構成されており、1幕目は原作の1幕と2幕目、2幕目は3幕と4幕目、3幕目は5幕目をそれぞれ基礎としている。しかし、脚本家は脇台詞や、筋を煩雑にする場面を出来うる限り省くと同時に、最終場での新しい展開を予告する台詞を随所に挿入しているのである。登場人物に関しては、名前がアガトに変更された継母に原作のジェルトリュードのような強烈な性格付けをしていない点と、医者のヴェヌロンに大きな役割を与えている点が我々の目を引く。アガトと彼女に操られる夫の将軍が敵役で、彼らが窮地に追い込んだ娘ポリーヌを救出するために動き回るヴェヌロンをヒーローと看徹すことができる。演出ノートには、役者の演技の詳細な指示の他に、人物の所作や台詞を強調しながら場面の雰囲気を盛り上げる音楽を演奏する箇所が記されている。脚本家は作品の構成と演出の面から、原作を観客の共感を得やすい古典的メロドラマに変えてしまったのではないだろうか。原作を読まずにこの舞台を見た観客は、批評家から称賛された優れた演出と役者の見事な演技に魅了されたことであろう。確かに、バルザックの劇作品に頻出する脇台詞と説明的な長台詞を適度に整理することは必要であるが、作品の主要テーマに連なる場面は残すべきであろう。1851年の上演計画と1949年の翻案を調査した結果、前者は平凡な悲劇に、後者は一世紀前に流行った古典的メロドラマに内容を変更しており、「生活の中の真実」描写が実現されているバルザックの原作と重ならない部分が目立つのである。劇作品の受容は、その時代の世相や観客の好みを反映しているともいえよう。
著者
片本 恵利
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.45-64, 2006-12-30

The present paper attempted to add new point of view on Noro and Yuta, folklore religionists in Okinawa, through considerations on their prayer. Noro wish good harvest and function to contribute toward enrich their community and empower people. On the other hand, Yuta pray to apology mens mistakes which have bad effects on gods, and beg perdon for them to adjust bad issues. Psychotherapists today may be proposed to take both functions in our community.
著者
須永 和之
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.21-34, 1997-11-25

The 18th century public libraries in Ireland were different form modern public libraries. Marsh's library in Dublin, built by Archbishop Narcissus Marsh in 1701, was a sort of parochial libraries. However, Marsh's library was considered as modern public library. Because the government of the library was vested in Governors and Guardians under a act for public library, passed by the Irish parliament. The Linen Hall Library established in Belfast, a industrial town in northern Ireland. The Linen Hall Library has its beginning in a subscription library of the Belfast Reading Society founded in 1788. At first, it was the library of artisans and manufacturers who lived in the city. In spite of temporary crisis caused by the rebellion of the United Irishmen, it became a academic institution in Belfast.
著者
大下 祥枝
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.1-23, 2004-03

バルザックの小説『従兄ポンス』(1846年) は、これ迄に三度しか映画や芝居に脚色されてこなかった。それらはアルフォンス・ド・ローネの戯曲 (1874年) とジャック・ロベールの映画 (1924年) とジャン=ルイ・ボリーのテレビ映画 (1976年) である。ジャック・ロベールによる『従兄ポンス』の映画化について、我々は既に別稿で論じており、本稿では戯曲とテレビ映画を取り上げ、バルザックの原作がどのように翻案され、受容されていったかを知る目的で考察を進めた。クリューニ劇場で上演されたアルフォンス・ド・ローネ作5幕の翻案劇『従兄ポンス』では、登場人物だけでなく、筋の展開の面でも、原作がかなり改変されている。バルザックが描いた作中人物たちの中から10名程は省き、そのかわりに新たな人物としてオルガや公証人のエヌカンを創作している。老音楽家ポンスとシュムケが勤める劇場の下働き人トピナールの幼児オルガが、戯曲では少女に成長した姿で登場し、父親亡き後ポンスとシュムケのもとに引き取られ、作品の中で重要な役割を演じることになる。裕福なドイツ人ブリュンナーについて見ると、セシル・ド・マルヴィルと見合いをし、彼女が一人娘であることを理由に結婚を断るところまでは原作と同様である。戯曲では、その後彼がオルガと親密になり、ポンスの最後の願いを受け入れて彼女に結婚を申し込む場面が挿入されている。シュムケも原作とは異なり、彼のフランス語にはドイツ語の訛りが見られず、しかも自らの意思を自由に述べている。ポンスの莫大な遺産を狙う貪欲な人物たちの動きは原作を踏襲しているが、戯曲の大団円は小説とは全くかけ離れたものになっている。ブリュンナーが弁護士フレジエの裏をかいて、彼の友人である公証人エヌカンに依頼してポンスの遺書の作成に立ち会わせていた。その遺書のお陰でシュムケはポンスの遺産を全て相続することができ、ポンスを苦しめたマルヴィル夫人たちに何も略奪されずにすむ。シュムケは最後に「ポンス・お前の仇を討ったぞ」と叫ぶ。レモナンクとシボ夫人は、仕立て人のシボを毒殺した廉で逮捕される。つまり、勧善懲悪をテーマとした古典的メロドラムの影響が色濃く感じられる結末を迎えているのである。主役を演じた俳優の演技や演出を称賛する劇評が多く見られるものの、上演当時の観衆の好みを重視しすぎたこの脚色は、社会階級の仕組みや庶民の悲惨な生活をありのままに描き出そうとしたバルザックの意図を忠実に再現しているとは言い難い。ジャン=ルイ・ボリーのテレビ映画にも原作中の人物が何名か現われないが、新たに創作された登場人物は一人もいない。バルザックが描いたごとく、ポンスがマルヴィル夫人に贈った高価な扇が作品のヒロインであることを明示すべく、脚色家はマルヴィル一家がその扇を話題にする場面をフィルムの前半に挿入する。さらに最終場面ではその扇の由来を招待客に説明する夫人の姿を描出した後、扇だけを最後までクローズアップする手法を用いている。シボ夫人がポンスの遺書に自分の名前を書き入れてもらい、いずれ安楽な生活ができるかを占い師のフォンテーヌ夫人に尋ねる場面は、原作にそって詳細に映像化しており、聴衆の興味を引く工夫を凝らしていることが判る。また、ポンスの私設美術館に忍び込むレモナンクやフレジエの様子、さらにポンスの死の直後に彼の部屋に集まってきた葬儀屋たちの動き等もカメラが丹念に追っている。ポンスの遺産は原作どおりにマルヴィル一家の手に渡る。ドイツ語訛りのフランス語を話すシュムケがフレジエたちの策略によってポンスのアパルトマンから追い出されるところまでは画面で見ることができるが、その後彼がトピナール一家と出会って最後の安らぎを得る場面は割愛されている。シボ夫人とレモナンクがどのような晩年を送ったかは語られていないため、視聴者はフォンテーヌ夫人の予言からシボ夫人の運命を想像するしかない。フレジエは自分が予審判事に出世するといってシボ夫人を脅しているが、彼の仲間であるプーラン医師の将来は不明なままに終わる。このようにポンスが死亡した後の他の登場人物の様子は、マルヴィル一家を除いては何も語られていない。とはいえ、時間的・空間的に制約の多いテレビ映画という表現手段をとおして、脚本家と映画監督はバルザックの小説『従兄ポンス』の主要な箇所を巧みに再現していると言える。原作を読んでいない視聴者にとっても、この作品のテーマは理解できるのではないだろうか。批評家は、俳優たちの演技に対して好意的な評価を下している。アルフォンス・ド・ローネ作5幕の翻案劇とジャン=ルイ・ボリーのテレビ映画の分析をとおしてバルザックの小説作品の翻案について考えてみると、今後それが成功するか否かは、各時代の嗜好を反映したテーマの選択にかかっていると言えるのではないだろうか。