著者
大下 祥枝
出版者
沖縄国際大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

19世紀前半のフランス社会は、政治体制がめまぐるしく変わる激動の時代にあった。そのような時に思想・信条を発表する場として新聞・雑誌が大いに利用されたが、大衆がつめかけたパリのブルヴァールの劇場も、その場を提供していたのである。いったい舞台の上でどのような場面が展開し、聴衆の心をつかんでいたのであろうか。大衆演劇の枠組みに入る数多くのメロドラマの中から、役者フレデリック・ルメートルが主役を演じた作品を選び、舞台が観客に与えた影響について考察を進めた。第一部では、権力に挑む大衆演劇とその周辺というタイトルのもとに、『ロベール・々ケール』と『パリの屑屋』を取り上げた。主人公たちがいかにして権力に立ち向かっていくかを調査し、またメロドラマと他分野との関連性や検閲について検討を加えた。社会的弱者を描く大衆演劇と題した第二部では、家族制度の矛盾点がメロドラマの『リチャード・ダーリントン』と『三十年間、または或る賭事師の一生』ではどのような形で登場人物の動きに反映されているかを検証した。第三部ではバルザックの劇作品、および劇中劇の形式で描かれた『魔王の喜劇』について、『ロベール・マケール』の影響を調査すると同時に、作家が七月王政下の社会を調刺する手法を探った。以上のような考察を通して、当時の民衆が体制批判をする一つの切っ掛けとなったのが、メロドラマなどの舞台であるといえるのではないだろうか。
著者
大下 祥枝
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.1-78, 2001-10-31

1942年3月に映画『ランジエ公爵夫人』が公開された直後,ジャン・ジロドゥーはそのシナリオ集といえる作品『バルザック原作"ランジエ公爵夫人"のフィルム』を発表した。翻案を手掛けたジロドゥーが原作をいかに理解して映像化に至ったかを解明するために,シナリオ集を基軸にしながら小説と映画の比較検討を試みた。映画は,大粋において原作の筋の流れを踏襲しているといえる。しかし,主要な二つの場面で両者の間に大きな相違点が見いたされる。一つ目は,純粋な恋愛感情を弄んだとして,モンリヴォー将軍がアントワネット・ド・ランジエ公爵夫人に復讐する場面である。映画のなかでは舞踏会で繰り広げられる。大勢の人が見守るなか,彼らの友人も巻き込んだ応酬合戦が続く。原作と同様にシナリオ集とその手稿では,モンリヴォーが彼の家で夫人を一方的に激しく非難する設定になっており,台詞の内容も映画とかなり異なっている。主役を演じた役者と監督の要望で,映画にのみ見られる状況に変更されたと考えられる。二つ目は,テレーズ修道女となって身を隠していた公爵夫人を将軍が救出する箇所である。映画では修道院の中庭で展開し,テレーズ修道女がモンリヴォーの腕に抱かれ,膠朧とした意識のなかで彼の愛情を確認している。原作とかけ離れたこれらの場面については,数多くの批評が寄せられている。ジロドゥーの翻案の特徴は,まず第一に洗練された台詞をあげることができる。役者の巧みな台詞回しと相挨って,単語のひとつひとつが観客の耳に心地よく響くのである。第二に登場人物の多様さを指摘できる。貴族から庶民に至るまで,様々な階級の人物が主人公だちと言葉を交わし,物語の内容に深みを与えている。第三は音を効果的に使用していることである。モンリヴォーがアントワネットを見つけ出す手掛かりとして選んだのが彼女の歌声であり,その他,場面の展開と密接な関係を持つ種々の音色が選ばれている。早くから映画に関心を寄せていたジロドゥーは,独自の手法を駆使しながら,処女作であるこの翻案によって,彼自身が理解したバルザックの世界を銀幕上で描き,文学作品と映画の橋渡しを見事に果たしたといえる。[付記]本論は,パリXII大学に提出した学位請求論文の第4部第2章"De Balzac a Giraudoux"に加筆・修正を施して仕上げたものである。
著者
大下 祥枝
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.1-39, 2004-12-30

バルザックの5幕劇『継母』は、1848年5月に歴史劇場で初演された。その稽古の最中に作家は、戯曲を通して何を訴えようとしたのか、以下のように述べている。「新しいこと、それは生活の中の真実を描くことである。簡素で平々凡々と営まれている家庭が舞台にかけられているが、その営みのもとで恐ろしいドラマが展開するのである。」この『継母』を取り上げた小論は二部構成になっており、本稿の第一部では、主としてテキストを中心とする調査方法に則り、「生活の中の真実」を観客に実感させるためにどのような工夫が凝らされているかを探ってみた。第I項で作品分析を試み、第II項から第VII項において、主要テーマ、場面展開の方法、登場人物の構想、使用語彙の特徴、小道具、タイトルとサブタイトルに関して、順次考察を加えた。主要人物四人の性格付けや、彼らを取り巻く人物たちの行動パターンの調査によって、若き男女が服毒自殺に追い込まれる悲劇的な結末は避けられないものであったと考えられる。台詞に使われている単語の類型化を通して、次のような特徴が明らかになった。結婚や恋愛に関する表現は、戯曲のテーマに添う形で多く用いられているが、同時に、娘と継母が一人の男性を巡って死闘を繰り広げる場面に呼応して、闘争や生と死に関連する単語も全編にちりばめられている。さらに、一家の主人を除く全員が何らかの秘密を持っているという設定のため、秘密の保持と暴露を表わす単語や、罪と罰に関するものもかなりの頻度で見られる。人物の行動や精神状態を反映させた単語を駆使し、家庭内の一つの事件の展開に現実味を与えながら大団円へと導く作家の手法を見て取ることができる。「生活の中の真実」描写を小説作品で試みてきたバルザックは、それを晩年の戯曲においても実現しているといえよう。タイトルの『継母』とサブタイトルの「私的なドラマ」については、それらが戯曲の内容を的確に表現しているか否かを、同時代の戯曲や辞典類を参考にしながら検討した。バルザックは当初、戯曲を『ジェルトリュード、ブルジョアの悲劇』と呼んでいた。タイトルとしては、そのヒロインの名前をとった『ジェルトリュード』が、そしてサブタイトルは後で付けられた「私的なドラマ」が、この戯曲に合致していると考えられる。なお、小論の第二部では、『継母』の成立に影響を与えたと考えられる他作家の作品、ならびにバルザックの劇作品や小説作品について考察した後、戯曲の公演の様子を再現するために新聞・雑誌の記事を調査する。最後に、1949年にシャルル・デュランがグランシャン将軍役を演じた『継母』のシナリオと原作との比較検討も試み、初演から一世紀を経た時、いかなる形で作品が受容されているかを明らかにする予定である。
著者
大下 祥枝
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.1-111, 2005-12-30

本稿は、バルザックの5幕劇『継母』の上演計画と翻案をとおして、この戯曲の受容が時代と共にいかに変化していったかを考察したものである。『継母』は1848年5月に歴史劇場で初演され、1859年にはヴォードヴィル座で公演が行なわれた。フランス座でも実行される迄には至らなかったものの、この作品の上演計画が1851年と1854年と1900年に持ち上がっており、バルザックの戯曲への関心が高かったことを窺わせる。1851年のものに関しては、1848年刊行の初版本に劇場側が配役や、台詞の削除等を書き込んだ記録が残されている。『継母』は1859年の公演以来90年間のブランクを経て、1949年10月にリヨンのセレスタン劇場で舞台にかけられた。上演に際し、演出家兼主演役者のシャルル・デュランは、翻案をシモーヌ・ジョリヴェに委ねた。本稿では、1851年に手直しされた台本、および1949年の翻案を取り上げ、それらと原作を比較しながら、当時の関係者による作品解釈の仕方を探ってみた。コメディー=フランセーズ付属図書館所蔵の初版本の余白記載を調べると、初演時とは異なる配役が予定されていたことが判る。新たな台詞の加筆はどの場面にも見当たらない。総計64場のうち、25場に削除箇所があり、11場は完全に省かれている。フランス座は原作を出来うる限り短縮しようとしたようだ。娘と継母が一人の男性を巡って死闘を繰り広げるという主要テーマについては、娘の従順さと継母の厳しさのみが強調された結果、その当時よく演じられていた平凡な悲劇に変質した印象は免れない。バルザックはこの戯曲によってブルジョア家庭の真の姿を明るみに出そうとしたのであるが、父親と娘の重要な対話なども大幅に削除された1851年版では、作者の意図が生かされないまま最終幕を迎えている。セレスタン劇場での公演はシャルル・デュランの病気のために5日間しか続かなかったが、どのような内容の翻案であったのだろうか。作品全体は3幕で構成されており、1幕目は原作の1幕と2幕目、2幕目は3幕と4幕目、3幕目は5幕目をそれぞれ基礎としている。しかし、脚本家は脇台詞や、筋を煩雑にする場面を出来うる限り省くと同時に、最終場での新しい展開を予告する台詞を随所に挿入しているのである。登場人物に関しては、名前がアガトに変更された継母に原作のジェルトリュードのような強烈な性格付けをしていない点と、医者のヴェヌロンに大きな役割を与えている点が我々の目を引く。アガトと彼女に操られる夫の将軍が敵役で、彼らが窮地に追い込んだ娘ポリーヌを救出するために動き回るヴェヌロンをヒーローと看徹すことができる。演出ノートには、役者の演技の詳細な指示の他に、人物の所作や台詞を強調しながら場面の雰囲気を盛り上げる音楽を演奏する箇所が記されている。脚本家は作品の構成と演出の面から、原作を観客の共感を得やすい古典的メロドラマに変えてしまったのではないだろうか。原作を読まずにこの舞台を見た観客は、批評家から称賛された優れた演出と役者の見事な演技に魅了されたことであろう。確かに、バルザックの劇作品に頻出する脇台詞と説明的な長台詞を適度に整理することは必要であるが、作品の主要テーマに連なる場面は残すべきであろう。1851年の上演計画と1949年の翻案を調査した結果、前者は平凡な悲劇に、後者は一世紀前に流行った古典的メロドラマに内容を変更しており、「生活の中の真実」描写が実現されているバルザックの原作と重ならない部分が目立つのである。劇作品の受容は、その時代の世相や観客の好みを反映しているともいえよう。
著者
大下 祥枝
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.1-23, 2004-03

バルザックの小説『従兄ポンス』(1846年) は、これ迄に三度しか映画や芝居に脚色されてこなかった。それらはアルフォンス・ド・ローネの戯曲 (1874年) とジャック・ロベールの映画 (1924年) とジャン=ルイ・ボリーのテレビ映画 (1976年) である。ジャック・ロベールによる『従兄ポンス』の映画化について、我々は既に別稿で論じており、本稿では戯曲とテレビ映画を取り上げ、バルザックの原作がどのように翻案され、受容されていったかを知る目的で考察を進めた。クリューニ劇場で上演されたアルフォンス・ド・ローネ作5幕の翻案劇『従兄ポンス』では、登場人物だけでなく、筋の展開の面でも、原作がかなり改変されている。バルザックが描いた作中人物たちの中から10名程は省き、そのかわりに新たな人物としてオルガや公証人のエヌカンを創作している。老音楽家ポンスとシュムケが勤める劇場の下働き人トピナールの幼児オルガが、戯曲では少女に成長した姿で登場し、父親亡き後ポンスとシュムケのもとに引き取られ、作品の中で重要な役割を演じることになる。裕福なドイツ人ブリュンナーについて見ると、セシル・ド・マルヴィルと見合いをし、彼女が一人娘であることを理由に結婚を断るところまでは原作と同様である。戯曲では、その後彼がオルガと親密になり、ポンスの最後の願いを受け入れて彼女に結婚を申し込む場面が挿入されている。シュムケも原作とは異なり、彼のフランス語にはドイツ語の訛りが見られず、しかも自らの意思を自由に述べている。ポンスの莫大な遺産を狙う貪欲な人物たちの動きは原作を踏襲しているが、戯曲の大団円は小説とは全くかけ離れたものになっている。ブリュンナーが弁護士フレジエの裏をかいて、彼の友人である公証人エヌカンに依頼してポンスの遺書の作成に立ち会わせていた。その遺書のお陰でシュムケはポンスの遺産を全て相続することができ、ポンスを苦しめたマルヴィル夫人たちに何も略奪されずにすむ。シュムケは最後に「ポンス・お前の仇を討ったぞ」と叫ぶ。レモナンクとシボ夫人は、仕立て人のシボを毒殺した廉で逮捕される。つまり、勧善懲悪をテーマとした古典的メロドラムの影響が色濃く感じられる結末を迎えているのである。主役を演じた俳優の演技や演出を称賛する劇評が多く見られるものの、上演当時の観衆の好みを重視しすぎたこの脚色は、社会階級の仕組みや庶民の悲惨な生活をありのままに描き出そうとしたバルザックの意図を忠実に再現しているとは言い難い。ジャン=ルイ・ボリーのテレビ映画にも原作中の人物が何名か現われないが、新たに創作された登場人物は一人もいない。バルザックが描いたごとく、ポンスがマルヴィル夫人に贈った高価な扇が作品のヒロインであることを明示すべく、脚色家はマルヴィル一家がその扇を話題にする場面をフィルムの前半に挿入する。さらに最終場面ではその扇の由来を招待客に説明する夫人の姿を描出した後、扇だけを最後までクローズアップする手法を用いている。シボ夫人がポンスの遺書に自分の名前を書き入れてもらい、いずれ安楽な生活ができるかを占い師のフォンテーヌ夫人に尋ねる場面は、原作にそって詳細に映像化しており、聴衆の興味を引く工夫を凝らしていることが判る。また、ポンスの私設美術館に忍び込むレモナンクやフレジエの様子、さらにポンスの死の直後に彼の部屋に集まってきた葬儀屋たちの動き等もカメラが丹念に追っている。ポンスの遺産は原作どおりにマルヴィル一家の手に渡る。ドイツ語訛りのフランス語を話すシュムケがフレジエたちの策略によってポンスのアパルトマンから追い出されるところまでは画面で見ることができるが、その後彼がトピナール一家と出会って最後の安らぎを得る場面は割愛されている。シボ夫人とレモナンクがどのような晩年を送ったかは語られていないため、視聴者はフォンテーヌ夫人の予言からシボ夫人の運命を想像するしかない。フレジエは自分が予審判事に出世するといってシボ夫人を脅しているが、彼の仲間であるプーラン医師の将来は不明なままに終わる。このようにポンスが死亡した後の他の登場人物の様子は、マルヴィル一家を除いては何も語られていない。とはいえ、時間的・空間的に制約の多いテレビ映画という表現手段をとおして、脚本家と映画監督はバルザックの小説『従兄ポンス』の主要な箇所を巧みに再現していると言える。原作を読んでいない視聴者にとっても、この作品のテーマは理解できるのではないだろうか。批評家は、俳優たちの演技に対して好意的な評価を下している。アルフォンス・ド・ローネ作5幕の翻案劇とジャン=ルイ・ボリーのテレビ映画の分析をとおしてバルザックの小説作品の翻案について考えてみると、今後それが成功するか否かは、各時代の嗜好を反映したテーマの選択にかかっていると言えるのではないだろうか。