著者
日隈 正守
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.17-30, 2004-02-23

本稿では, 江戸時代の編纂物である『神代三陵志』可愛山陵項に収められた『新田神社文書』の具体的内容と全体としての史料的性格について分析した。その結果『神代三陵志』可愛山陵項に収められた『新田神社文書』は, 主に八幡新田宮(現新田神社)の前身及びそれ自体が可愛山陵(環環杵尊の陵墓)である事を記載した文書群であった。『神代三陵志』可愛山陵項に収められた『新田神社文書』を使用すると, 八幡新田宮がいつ頃から可愛山陵との関係を主張し始めたかを解明する事ができる。この課題に関しては, 鎌倉前期に八幡新田宮が阿多北方内の所領を地頭鮫島家高に押領された際, 再び地頭に所領を押領されない様にする事と, 進まない修造を促進する意図, 薩摩国内において八幡新田宮よりも神社としての序列が高い開門神社に対抗する目的等のため, 八幡新田宮は瓊瓊杵尊との関係を主張し宗教的権威付けをしたと考えられる。

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