著者
大塚 清恵 Otsuka Kiyoe
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要 人文社会科学編 (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.97-123, 2009

本稿は、鹿児島大学教育学部研究紀要(人文・社会科学編)第58 号に掲載された「日本・イスラエル比較文化研究 ―日猶同祖論考―」の続編である。一般的に「秦氏」と呼ばれる3 世紀末から5 世紀にかけて朝鮮半島から渡って来たシルクロード渡来人は、時代を超越した高度な知識と技術を持っていた。彼らは、古代日本に技術革命をもたらし、政治・宗教・生産活動・文化を大きく発展させた殖産豪族集団である。この論文は、古墳文化、飛鳥文化を築いた渡来人がイスラエル系であったことを詳述した後、なぜ突然彼らが大挙して極東の島国にやって来たのか?なぜ4 世紀から5 世紀にかけて一見無意味な巨大古墳を現在の大阪の地に築いたのか?なぜ北九州と畿内が秦氏の拠点なのか?なぜ全国各地に奇妙な三本鳥居の神社を建てたのか?という日本史の謎に対して大胆な一つの仮説を立てた。
著者
大塚 清恵
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要 人文社会科学編 (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.127-146, 2006

The ancient kingdom of Israel, which consisted of 12 tribes, was in circa 922 B.C. divided into the southern kingdom of Judah and the northern kingdom of Israel. 10 tribes out of the 12 belonged to the northern kingdom and the rest to the southern kingdom. The people of the northern kingdom were exiled to Assyria in 722 B.C. never to return to Israel. They are called the Ten Lost Tribes of Israel. They were dispersed all over the world. Their descendants are found not only in the western world, but also in the eastern world especially along the Silk Road. Japan and Israel are geographically far from each other and seemingly unrelated nations. However, the two nations are remarkably similar in mythology, religious rituals, language, daily customs, etc. Some of the Japanese and Jewish scholars who are conversant with the ancient cultures of Japan and Israel claim that numerous striking similarities between the two cultures are proofs indicating that the Ten Lost Tribes of Israel came to ancient Japan. The purpose of this paper is to examine the authenticity of their claim by making a comparisonof the ancient cultures of Japan and Israel, which may help solve some of the cultural riddles of Japan such as why Japanese like rectangles or why Japanese have numbers in their names.
著者
大塚 清恵
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.103-121, 2005-03-25

16年前(1988年)から鹿児島大学の共通教育において女性学講座を開いている。ジェンダー・フリー時代が到来し「女らしさ・男らしさ」が問い直されている今,大学生のジェンダー学への関心は高く,鹿児島大学の女性学講座も毎年50人〜300人の学生が受講している。この調査報告は過去2年間400人の受講生を対象に行ったアンケート結果に基づいている。調査内容は,一般・家庭・政治・教育・労働・性・法律・心理の八項目にわたり,調査対象とした学生の学部比率は工学部(37%),法文学部(28%),農学部(10%),理学部(7%),医学部(7%),教育学部(6%),水産学部(3%),歯学部(1%)であった。この論文では,全体の65%を占める工学部と法文学部の回答者の中から100人ずつ無作為抽出し,そのアンケート結果を男女別に分けて集計し性別比較分析を行った。調査対象者の数が少ないので,統計学的客観性は低いと思うが,アンケート分析から最近の鹿児島大学生の男女間の諸問題および性役割に対する考えを多少は浮き彫りにできると思う。今後も5年ごとに同じ調査をし,鹿児島大学生の男女関係に問する意識の変化を追っていきたいと思う。
著者
中嶋 哲也
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.77-92, 2014

本研究は、明治期に柔術が文化として再発見されていく過程について考察するものである。研究対象として、明治12(1879)年8月5日と25日に行われた2つの演武に注目した。この2つの演武には元米国大統領であったユリシーズ・グラントが鑑賞しにきていたためである。本論では、グラントが武術のどこに興味関心を抱いたのかを検討した。結果として、次の3つの知見が得られた。一つ目に、グラントは武術に関して伝統的側面に興味を持つような発言をしなかったことである。二つ目に、8月25日の演武は天覧であったが、当演武の直後、新聞等で武術の価値を見直すことが主張された。天覧演武は武術総体が伝統・文化として再発見されるきっかけの一つになったといえよう。三つ目に、8月5日の演武においてグラントはあらゆる武術のうち、特に柔術に興味を示していた。このことは、柔術が西洋の人々の目に興味深く映る、とその場に居合わせた日本人に印象付けたものと考えられる。
著者
新名 隆志
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
no.70, pp.11-22, 2019-03-11

英語圏のニーチェ研究を牽引する一人であるブライアン・ライターは,ニーチェ道徳思想の自然主義的特徴とその意義を強調する一方,ニーチェの価値転換の思想の意義を貶める議論を展開している。その議論を受け入れるかどうかによって,ニーチェ思想全体の解釈の方向性は大きく変わる。本稿は,ライターの議論を大きく二つの点で批判し,ニーチェの価値転換思想の意義を再確認することを目的とする。第一に,ライターは,論理的に飛躍のある議論によって,ニーチェが依拠する力という価値の規範的特権性を奪い取ってしまう。第二に,ライターは,やはり論理に飛躍がある推論に基づいて,価値転換の議論が不合理でレトリカルなものにすぎないと主張する。彼はこのような議論により,極端に価値相対主義的な立場をニーチェに帰することによって,力という価値に依拠した価値転換という,実質的で規範倫理学的なニーチェの議論の理論的意義を破壊してしまうような解釈に至ってしまっている。
著者
種村 完司 Gloy Karen
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.67-80, 2002

カレン・グロイは,科学とテクノロジーの優勢,デモクラシーの優勢,人権の理念の優勢という今日の時代状況の中で,哲学の基礎が深刻な危機に陥っていることを指摘し,その上で,哲学がどんな課題をはたすべきかを改めて問い,諸論者による哲学の規定を「代償の学問」「啓蒙の学問」「行為の学問」の三類型において把握し,それぞれを批判的に吟味している。しかし,この三つの哲学規定では不十分であり,哲学の危機とは実は西洋の理知主義的な哲学の危機であることを示し,生活世界に根ざした要求,感性や身体性,世界の全体的な意味解釈を包括した哲学が求められていることを訴える。訳者(種村)は,筆者グロイによる今日の思想・文化状況の把握,哲学の三類型への批判的論述に基本的に同意する。哲学のイデオロギー化に対する批判には支持しがたい点もあるが,「理性の他者」をも包括した豊饒な哲学の構築を追求する筆者の姿勢はきわめて貴重だと考える。
著者
日隈 正守
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.1-13, 2014

本論文では,日向・大隅・薩摩三箇国に亘る島津荘域の中で,大隅国内において国衙・国一宮(大隅国正八幡宮)と島津荘との間に対立関係があることを具体的な事例を通して指摘した。国衙・国一宮と島津荘との間に対立関係が生じた理由を島津荘立荘時に遡って考察し,島津荘立荘者平季基の大隅国府焼き討ち事件とその結果が国衙・国一宮と島津荘との対立の原因であることを解明した。
著者
新名 隆志
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.11-26, 2017

本論文では,2007年のN.フセインの論文に端を発する,ニーチェ思想の虚構主義的解釈をめぐる議論を概観し,この解釈の妥当性と問題点を検討する。現代メタ倫理学における(改革的)虚構主義とは,道徳は実在しない虚構であるが,それを有効なフィクションとして利用すべきだとする立場である。フセインは,この立場をニーチェに帰することによって,ニーチェ思想を整合的に理解できると主張する。 A.トーマスやB.レジンスターは,このフセインの解釈に対する代表的な批判者である。彼らの批判の検討によって,虚構主義的解釈の本質的問題点が,価値一般の虚構主義的解釈それ自体では,ニーチェが提唱する力への意志の価値の優位性や価値転換を説明できないという点にあることが明らかになる。 しかしレジンスターやフセインは,この問題点を克服し,虚構主義的解釈の枠組みの中で価値転換を理解しうる道をいくつか示唆しており,それらの中には一定の説得力をもち得るものがある。 結論として,虚構主義的解釈は,それ自体で力への意志や価値転換の意義そのものを説明することはできないとしても,ニーチェが推奨する価値のメタ倫理学的地位と,価値転換を生じさせる誘因について, ニーチェの価値思想全体を最も整合的に理解させてくれるような説明を与えることができると言える。
著者
下原 美保
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
no.70, pp.13-40, 2019-03-11

本稿は『新増書目』(松浦史料博物館蔵)における住吉派や板谷派の絵画鑑定及び模写に関する記事を活字化したものである。本書は平戸藩第九代藩主松浦静山が創設した楽歳堂所蔵の文献目録であるが、絵画に関しても項目が立てられ、その伝来や画題の内容、制作年代や筆者、画風についてのコメントが静山自身の言葉によって語られている。その際、静山が助言を求め、手控え用の模写を依頼したのが幕府の御用絵師である住吉派や板谷派である。また、本書から松平定信を中心とする知的ネットワークや考証学的学問態度の広がりを知ることができる。本書を活字化し、公刊することで、近世御用絵師における絵画鑑定や模写、考証学的学問態度の研究に寄与することができると考えられる。
著者
大塚 清恵
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.97-123,

本稿は、鹿児島大学教育学部研究紀要(人文・社会科学編)第58 号に掲載された「日本・イスラエル比較文化研究 ―日猶同祖論考―」の続編である。一般的に「秦氏」と呼ばれる3 世紀末から5 世紀にかけて朝鮮半島から渡って来たシルクロード渡来人は、時代を超越した高度な知識と技術を持っていた。彼らは、古代日本に技術革命をもたらし、政治・宗教・生産活動・文化を大きく発展させた殖産豪族集団である。この論文は、古墳文化、飛鳥文化を築いた渡来人がイスラエル系であったことを詳述した後、なぜ突然彼らが大挙して極東の島国にやって来たのか?なぜ4 世紀から5 世紀にかけて一見無意味な巨大古墳を現在の大阪の地に築いたのか?なぜ北九州と畿内が秦氏の拠点なのか?なぜ全国各地に奇妙な三本鳥居の神社を建てたのか?という日本史の謎に対して大胆な一つの仮説を立てた。
著者
村原(田中) 京子
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.81-93, 2002

18世紀初頭,ヨーロッパを制覇した商業都市ロンドンで,G. F.ヘンデルのイタリア・オペラが受け入れられ高く評価されたが,その文化土壌を探るために,先ず17世紀初頭に至るイギリス演劇(とりわけシェークスピア劇)と音楽の歴史を辿った。次に17世紀イギリスの社会変革(ピューリタン革命,王政復古,名誉革命)の中で,芸術文化が如何に崩壊,再興を繰り返していったかを考察,その上にヘンデル・オペラの受容を位置づけた。特に当時の新聞等の記録をOtto Erich Deutschの<Handel A Documentary Biography>(1955)から抽出考察した。また,当時のイギリス王室との関係,及びヘンデルがオペラ劇場経営の上で遭遇した様々な出来事(オペラをめぐるトーリー党とホイッグ党の争い,歌手の争い,敵対する劇場との争い等),社会的乳棒,オペラ界内部の乳棒に焦点をあて,ヘンデル・オペラの側面を求めたものである。
著者
新名 隆志
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
no.71, pp.9-28, 2020

筆者はこれまでの研究成果において,力への意志の本質を,抵抗の克服活動における力の発揮の快が自己自身を欲するというあり方において捉えてきた。この解釈は,ニーチェの遊戯概念についてこれまでにない明晰な理解を可能にする。後期思想において,力への意志は生の活動,さらには自然界の運動一般の原理と考えられているが,このような活動の捉え方の原型は,1880年―81年の遺稿断片における,行為を遊戯として捉えるニーチェの行為論に見出される。力への意志説は,この行為論の発展形態として捉えることができるのである。萌芽的な行為論が力への意志説へと花開く過程で決定的なインスピレーションを与えたのが,初期の論考,「ギリシア人の悲劇時代の哲学」におけるヘラクレイトス思想の解釈である。抵抗の克服の遊戯として理解できる力への意志は抵抗の克服の遊戯として理解できるが,そのモデルは,初期のニーチェがヘラクレイトス思想の内に見た戦いの遊戯と考えられる。この戦いの遊戯としての遊戯観が,『喜ばしき学問』準備期のニーチェに大きなヒントを与え,以後の力への意志説の彫琢を可能にしたのである。
著者
佐藤 宏之
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.1-14, 2012

明治二年(一八六九)八月、金沢城二ノ丸殿中において前田家八家の本多政均が暗殺されるという事件が起こる。その三年後、本多家家中は仇討ちを果たす。この事件は、「明治忠臣蔵」と評価されるにいたるのだが、なぜ本多政均暗殺事件と仇討ちが「忠臣蔵」と冠されるのだろうか。その所以はなにか。本稿は、「明治忠臣蔵」とイメージづけられた歴史像を「歴史的記憶」と位置づけ、その形成過程をあきらかにするものである。本多政均暗殺事件と仇討ちは、数年後には実録物に仕立てられ、明治四二年(一九〇九)九月の従四位への追贈を契機に碑石・銅像の建設運動へと展開し、その後小説へと流れ込む。その過程において、この一件は赤穂事件と重ね合わせられ、義士の物語として人びとに記憶されていくのである。
著者
大塚 清恵
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.85-102, 2005

現在,日本でサステーナブル・ツーリズム(持続可能な観光)として注目されているグリーンツーリズム(農山漁村滞在型観光)は,ニート青年を立ち直らせるオータナティブ教育として,また都会の子供たちに自然や食べ物のありがたさを体験をとおして学ばせる食育として注目を集めている。この論文では,日本の観光史を概説しニート問題を心理面から分析した後,グリーンツーリズムが都会育ちの若者や子供たちを活性化することに成功したいくつかの事例を紹介する。
著者
永迫 俊郎
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
no.71, pp.29-38, 2020

われわれ人間は環境を認識するさい自ずと主体を切り替えて考えているが,どうしても自分中心になってしまう.人間は落ち着く先を求めて,自分のふるさと(故郷),自分の位置,私はどうするのだということを問い続ける.そこで基盤になるのはそれまでに培った経験で,環境世界の見え方が人によって異なるのはそのためである.鹿児島大学のCOC事業に携わるなかで「島立ち」の重要性に気付き,2017年3月に知名中学生を対象に「故郷(沖永良部島・校区・字)との関わりについてのアンケート」を行った.さらに,2019年7月に大島高校の生徒に対して「郷土・故郷と島立ちに関するアンケート」を実施できた.これらの沖永良部島と奄美大島の生徒に対するアンケート結果にもとづいて,環境世界を認識する基準として「身近な地域」がどのような役割を担っているか検討してみた.その結果,住民のほとんどが一度は島立ちしている周囲の状況や,出身者の郷土会に接してきた経験が,世界認識の基準となる身近な地域と自己の関係性への考究に繫がるのであろうと指摘した.