著者
吉良 枝郎
出版者
社団法人日本東洋医学会
雑誌
日本東洋醫學雜誌 (ISSN:02874857)
巻号頁・発行日
vol.57, no.6, pp.757-767, 2006-11-20

なお攘夷の激しい維新当初より,京都官軍病院にイギリス公使館医を医師として招聘し,ついで御所への西洋医学の導入を認め,典薬寮医師として蘭方医を採用し,元年末には医学校である大学東校を開校し,近い将来での医師開業試験の実施を布達した。明治新政府は,わが国の医学として,初めて,積極的に西洋医学を受容した。漢方医の影響下にあった旧幕府とは,極めて対照的である。戊辰戦争で貢献した英国公使館医は,大学東校の病院長兼医学教師に就任した。政府内には,従来のオランダ医学に代わって,わが医学の教師役はイギリス医学がとの雰囲気があった。一方長崎医学校で学んだ若い蘭方医達は,世界の医学界をリードしているとして,ドイツ医学のわが国への導入を提案した。厳しい討議のすえ,ドイツ人医学教師の招聘が決定された。初代のミュルレルは,伝統的医学教育に固執する日本人教師らの抵抗を抑え,厳しく,徹底的に医学校を改革した。医学生は,予科3年,本科5年に亘り,基礎科学,基礎医学,臨床を,ドイツ人教師によりドイツ語で教育された。極めて特異な事であったが,わが国初の医制を作り上げるためには欠くべからざる事であった。

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吉良枝郎「明治維新の際,日本の医療体制に何がおこったか」(『日本東洋醫學雜誌』57-6、2006年)は、英国公使館医ウィリスが戊辰戦争期に従軍医師として活動したことを皮切りに、維新期の日本に西洋医学が導入された経緯などを語る講演録。 https://t.co/9WWkfnzlGi

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