- 著者
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鼓 みどり
- 出版者
- 富山大学
- 雑誌
- 富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
- 巻号頁・発行日
- vol.1, no.1, pp.261-271, 2006-12-14
Where can we find …Where can we find exoticism in this age of globalization? Can you stand for a wired ethnic stereotype of yourself? Actually there are plenty of ethnic stereotypes in films,video clips,TV programs,CM and so on. This paper discusses on different cultural images in recent films and video clips. Firstly we look on exotic images in video clips from 80's(Duran Duran,Clash,Men at Work,Petshop Boys) to 90's (Madonna,U2) and recent (Beck). Secondly we analyze absurdity,daydream and nightmare in video clips (Massive Attack,Tricky,Sonic Youth,Chemical Brothers,Petshop Boys,Square Pusher,Bjork and Madonna). Thirdly we observe Japanese images in Sofia Coppola's film <<Lost in Translation>> (2003) and Peter Greenaway's film <<8 1/2 Women>> (1999). We find a kind of Japonisme images in these clips and films. However they can convey a new view on ourselves.20世紀は「映像の世紀」と呼ばれ、映画やテレビ、ビデオそして最近ではインターネット上で世界のさまざまな地域の風土や、そこで生活する人々の姿を見ることが出来ると信じられている。モニタは珍しい風景、耳慣れない音声、或いは人々の胸中をも再生する。異文化の中に身を置かずに異文化を体験することは、娯楽として消費されている。しかしながら私たちはステレオタイプに依存しながら、異文化を受容している。日々眺めるイメージがその地域を想起させる細部を示すと、またかと思いつつも落ち着いた気分になる。機会があれば現地を訪れ、ステレオタイプを実体験して満足する。また自身の文化をとらえるときも、その姿に伝統的な型をあてはめがちである。伝統的類型はしばしば実生活とはかけ離れているが、私たちはそのことをあまり問題とは思わないだろう。しかし私たちはどのような類型として表象されているのであろうか。メディアに登場する類型は、たとえ諷刺を意図していなくても共感しがたいものであることが多い。時代錯誤であったり、アジア諸国の文化を適当に混ぜていたり、その理由はさまざまであろう。ただし報道ネットワークが発達した現在、たとえば海外テレビCMにごく普通の日本人家族が登場するなど、奇をてらったイメージばかりが作られているわけではない。また視点を変えれば、私たちが何も疑問に思わずに受け入れている外国のイメージも、同じように当該地域の人々にとって違和感があるかもしれない。異文化をあらわす類型は、報道やドキュメンタリーよりも、娯楽性の強い映像、すなわち映画やビデオクリップ、CMに登場する頻度が高い。本稿ではビデオクリップを中心に、異文化表象が担っている役割を検討する。