著者
飯田 卓
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.138-158, 2004-06-30

異文化表象に関するこれまでの議論では、完成した作品を取りあげることが多く、制作過程にまで考察が及ぼされることは少なかった。この結果、作家の意図と社会的制約の葛藤ないし妥協といった問題が軽視されたため、現実に即した実践論を提示しえていないという指摘がある。本稿では、マダガスカルの漁村生活に関する日本のテレビ・ドキュメンタリー番組を取りあげ、その制作状況までを含めて考察することで、現代日本の不特定多数者に向けた情報発信がいかなる現状にあるかを明らかにした。また、その現状をふまえつつ、メディア社会日本において人類学的実践に取り組むうえでの基本姿勢を再確認した。問題の番組は、取材でじゅうぶん確認できなかった情報を作品中で言及しただけでなく、それをことさら大きく取りあげて番組構成の柱とし、それに沿って登場人物の語りを操作的に翻訳していた。情報の鵜呑みは取材不足によるものだが、操作的翻訳は編集作業の問題である。編集段階でこうした誤りが生ずる背景としては、限られた経費と取材期間で不特定多数の視聴者の関心を喚起するという、テレビ番組制作における強い制約を指摘できる。テレビ制作者は「公益性の高い」作品づくりをめざした結果、現地の文脈に照らしつつ作品の妥当性を検証する作業を怠ったのである。メディアの受け手を意識した作品編集は、テレビ番組にかぎらず、民族誌の執筆においてもおこなわれている。人類学者もまた、メディアのもつ制約から自由ではないのである。しかし、調査地の文脈に意識的になれる点では、人類学者はテレビ制作者よりはるかに有利な立場にある。調査地と現代日本、両方の文化的脈絡をふまえ、質の高い情報発信をすれば、メディアが越境すると言われる時代においても、人類学者の役割が低下することはないだろう。

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