著者
デ・アントーニ アンドレア
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.4, pp.654-673, 2022-03-31 (Released:2022-07-20)
参考文献数
64

本稿は、現代日本における「憑き」や「憑依」を通して治癒した人々の経験に焦点を当てながら、精霊が発生する過程や精霊を祓うことによる治療過程を検討する。徳島県にある賢見神社で参与観察した民族誌的データに基づき、情動・感覚、身体化された記憶と想像力との相互関係がいかに治療の効果や治癒と関わるのかを分析する。治療の受け手の治癒過程に注目しながら、情動・感覚、身体化された記憶と想像力の役割を検討した上で、憑依を通した治癒経験を理解するためには、ヒーラー側に焦点を当てるのではなく、受け手に焦点を当てるような分析モデルの方が効果的であると論じる。
著者
松崎 かさね
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.87, no.3, pp.387-406, 2022-12-31 (Released:2023-04-21)
参考文献数
38
被引用文献数
1

本稿が取り上げるのは、パチプロ(パチンコ・パチスロで生計を立てる人)として約20年間生活してきた経験を持つAの語りである。彼は、プレーで最も重要なことは「期待値の積み上げ」であると語った。これは、期待値が高い台で繰り返しプレーすることであり、当時の彼はプロの中で一番になることを目指し、この実践に日々励んでいたという。けれども一方で、彼はこの実践を適度に抑えることのできる人間こそレベルの高いプロであるとも語った。本稿の目的は、この一見相反する事柄——「期待値を積み上げる」こととそれを抑えること——がなぜAにおいてどちらも重視されるのかを考察することである。彼によれば、「期待値の積み上げ」で重要なのは、その都度のゲームの結果よりも、期待値を根拠に打ち続けるプロセスの方であり、この実践によって長期的には収支がプラスに上向いていくという。さらに、彼は店や他の客に配慮してその日の稼ぎを適度に抑えることが、プロを長く続けるうえで重要なことであるとも語った。つまり、その場の利益という、賭けにおいてつい注目しがちなものから一旦視点を「はずし」、長期的な見方へと転換することが彼の思考の要諦だったのである。これを踏まえて本稿は、「期待値の積み上げ」を抑えることはその積み上げを至上とするプロに相応しいプレーであったことを提示する。
著者
髙山 善光
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.358-376, 2018 (Released:2019-05-12)
参考文献数
66
被引用文献数
1

これまで呪術を説明すると考えられてきた「類似」は、認知科学の発展によって、普遍的な認知機能の一つであることが明らかにされ、呪術に限定されるものではないということがわかってきた。このため、呪術の知的世界の特徴を理解するためには新たな理論が必要であり、この新しい理論の形成に向けて、「思考の現実化」という考えを私は以前提出した。本論では、この「思考の現実化」という理論を深めることで、近代「呪術」概念の定義の問題を乗り越え、新しく「呪術」を定義してみたいと考えている。近代呪術概念の特徴は包括性にあり、その包括性は、「呪術」が宗教的認識によって現実化された推論を意味しているということに起因していると主張したいと思う。 近年の呪術概念に関する議論は、大きく二つの潮流に分けることができる。まず一方には、この近代的な呪術概念を放棄すべきだと考える研究者がいる。そして他方で、やはり保持すべきだと主張する研究者がいる。本論ではまず、この矛盾は、前者の研究者が、近代的な呪術概念の包括性に対する理解を欠いていることに起因しているということを論じた。そして次に、この包括性は、「呪術」が推論という普遍的な要素を指しているということに関係があると議論した。 しかし、この呪術的な推論には、宗教的である一方で、科学的にも判断されるというさらなる問題がある。この問題を解くために、次に、宗教的認識という独自の理論を用いた。結論として、私は、近代的な呪術概念は、この宗教的認識によって現実化されている推論のことを指している概念だと結論づけた。そのために、呪術は、宗教的認識あるいはその推論的な側面のどちらに注目するかによって、宗教的にも、科学的にもなり得ると論じた。
著者
赤澤 威
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.517-540, 2010-03-31 (Released:2017-08-18)

アフリカで誕生したホモ・ハイデルベルゲンシスがネアンデルタールと新人サピエンスの最後の共通祖先である。ヨーロッパ大陸でハイデルベルゲンシスからネアンデルタールという固有の系統が誕生する20万年前、アフリカでは現代人の祖先集団、新人サピエンスがやはりハイデルベルゲンシスから生まれる。新人サピエンスは10万年前からアウト・オブ・アフリカと称される移住拡散を繰り返し、ユーラシア大陸各地に移り住み、その一派はヨーロッパ大陸にもおよび、その地に登場するのが新人の代名詞ともなっているクロマニョンである。ヨーロッパで共存することになった入植者クロマニョンと先住民ネアンデルタールとの間にどのような事態が生じたか、結末はクロマニョンの側に軍配が上がり、ネアンデルタールは次第に消滅して行き、絶滅した。この結末については考古資料、化石、遺伝子の世界で明示できるが、なぜ新人に軍配が上がったのか、両者の間には一体何があったのか、何が両者の命運を分けたのか、誰もまだ答えをもたない。このネアンデルタール絶滅説の検証に取り組み、数々の成果を挙げたのが"Cambridge Stage 3 Project"(T.H.van ANDEL&W.DAVIES eds.2003 Neanderthals and modern humans in the European landscape during the last glaciation)である。Stage3とは6万年前から2万年前のこと、ヨーロッパ大陸は最後の氷期に当たり、同時にクロマニョンの入植そしてネアンデルタールの絶滅という直近の交替劇の起こった時代である。本プロジェクトは、交替期の気候変動パタンとそれに対するネアンデルタールとクロマニョン両者の適応行動の違いをみごとに復元した。この研究によって交替劇の存在を裏付けるデータは着実に蓄積され、交替劇がいつ、どこで、どのような経過をたどって進行したか、少なくともヨーロッパ大陸を舞台とする交替劇に関する記述的部分は具体化され、交替期における旧人社会と新人社会の間の相互作用の概略が見えてきた。本稿は、同プロジェクトの成果を参考にしながら、ヨーロッパ大陸を舞台にして、両者はいつ、どこで、どのような経緯をたどって交替していったか、その概略を述べ、そこから交替期の時代状況に対して両者の採った適応行動の違いを考察し、交替劇の原因に迫ってみたものである。
著者
中空 萌 田口 陽子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.080-092, 2016 (Released:2017-10-16)
参考文献数
53

This paper explores the ways in which the concept of the “dividual” has functioned as a heuristic device for varied forms of anthropological thinking. Anthropologists study different cultures or societies to reconsider their own (often Western or universal)concepts. However, that has led to controversy, especially in terms of essentializing the “other” by exaggerating and reifying differences between “us” and “them.” This paper avoids the tension inherent in the binary of the Western/universal self and non-Western/local personhood by exploring “dividuality.” Dividuality, as opposed to individuality, has taken form through comparisons not only between the West and non-West, but also between two non-Western areas, namely South Asia and Melanesia. This paper extends the comparative enterprise to also take into account the di erent theoretical discussions that helped shape the concept in di erent ways across regions. Rather than relying on the conventional, linear assumption that concept-making is a matter of abstraction that necessary follows the concrete specificities of ethnographic data, the dividual offers a particularly strong illustration of the co-emergence of data and theory. Section II examines the Indian model of the dividual. David Schneider, emphasizing the importance of natives’ categories, proposed a framework with substance and code comprising American kinship. In McKim Marriott’s Indian ethnosociology, those elements were combined as inseparable “substance-codes,” exchanged by transactions of food, sexual fluids, or everyday conversations. The personhood thus constituted was dividual. In the Indian context, dividuality supported Marriott’s critique of Louis Dumont’s rigid dualism, centering on purity and impurity, since it emphasized the more dynamic and uid exchanges of substances. In spite of that, the Indian model was neglected for decades, most importantly because Marriott’s ethnosociological inquiry focused only on pure indigenous categories in an isolated way, which reinforced the assumption of different, Western categories. Section III traces how the dividual was subsequently recovered and applied to Melanesian anthropology. Roy Wagner transported David Schneider’s model to Melanesia, and Marilyn Strathern extended Wagner’s argument by transforming the dividual to explore the main topics of contemporary Melanesian studies. In particular, central to Strathern’s endeavor was a critique of mainstream Marxist feminist theory deployed to analyze systemic gender inequalities in Melanesia, and her alternative elaboration of the gender of the gift. Of equal importance were Wagner’s heuristic approach toward Melanesian personhood and Strathern’s strategy of continuous comparison between Melanesian and Euro-American contexts. Rather than seeking local dividual personhood or indigenous categories, their projects have suggested how individuals emerge through dividuality. Because of that attitude, their arguments were widely influential among Melanesianists, who sought novel explanations for continuities and changes in Melanesian societies. Furthermore, Strathern has re-contextualized her idea of dividuality to the West, drawing an analogical comparison between the dividual in Melanesian personhood and merographic relations in English kinship. The final section summarizes differences in concept-making between Indian ethnosociology and the Melanesian heuristic approach. Moreover, juxtaposing the Indian model with contemporary situations, it suggests fresh insights for understanding humanity when individuality is not taken for granted.
著者
藤本 武
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.347-370, 2010-12-31 (Released:2017-06-23)
被引用文献数
1

近年アフリカにおける小規模な紛争について環境変化による希少な資源をめぐる争いとする議論がある。牧畜民と農耕民の間の紛争では放牧地を確保しようとする前者と農地を拡大しようとする後者の土地をめぐる争いとされる。本論はエチオピア西南部の牧畜民と農耕民の間で発生してきた紛争事例について検討を行った。この地域では低地に暮らす牧畜民間の紛争が変動する環境下での資源確保や民族形成との関連で考察されてきた。ところが牧畜民の一部は1970年代から近隣の山地に暮らす農耕民を襲い、遠方の農耕民にまで対象を拡大してウシなどの財を略奪してきた。本論の分析から、紛争の背景には19世紀末にしかれた牧畜民と農耕民に対する国家の異なる統治策、国家支配のエージェントである入植者の私的関与、20世紀前半に主として農耕民になされた奴隷狩り、そして近年の自動小銃の流入など、外部からの地域への関与の問題が無視できないことが明らかとなった。じつは、他のアフリカの牧畜民と農耕民の紛争でも、紛争当事者間の土地などの資源をめぐる争いの背景に、国家や国際機関などによる開発政策が結果として争いを激化させていたり、過去の奴隷制が集団間の関係に影響をおよぼしているなど、資源紛争の構図におさまらない同様の問題が認められた。小規模な紛争を対象に、その個別具体的な相を掘りさげて分析する人類学の紛争研究は、今日常套句的になされがちな紛争説明に対して発言していくべきであるとともに、紛争後も長期に関わることで地域の紛争予防にむけた動きを支援するなど、独自の貢献を果たしていくことが求められる。
著者
川口 幸大
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.153-171, 2019 (Released:2019-11-11)
参考文献数
57

本稿は、大学入学を機に東北地方で暮らすことになった関西出身者としての私の自己と他者認識の形成、およびその変遷についてのオートエスノグラフィである。関西と関西人については、主にマスメディアから発せられる画一的な表象によって、その「ユニークさ」が広く人口に膾炙している。私は地元にいた18歳までは厳密な意味で自分が関西弁を話す関西人であると意識したことはなかったのだが、仙台で暮らすようになってから、関西人はよくしゃべる、どこでも関西弁を話す、面白い、値切ることができる、ガラが悪い、納豆が嫌いといったステレオタイプに基づくまなざしを受け、次第にそれを内面化させた振る舞いをして関西人として生きるようになった。今回、オートエスノグラフィのかたちで改めて関西人としての自己について思考し記述してみて分かったのは、それらのトピックを冗談以上の主題に発展させることは難しく、結局のところ個人的な差異の領域に帰されること、かつその背景には私を含めた日本の文化人類学における自己/他者認識の偏った枠組みが遍在していることである。他方で、私のこの状況は、エクソフォニー(母語の外にある状況)についての議論さえも相対化しながら、自己/他者認識の軛を自らの個人的次元で受け止め、それを弛めうる可能性につながることも明らかになった。
著者
石橋 鼓太郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.87, no.3, pp.421-440, 2022-12-31 (Released:2023-04-21)
参考文献数
43

本論文は、現代日本における行政を主催とした市民参加型の音楽実践〈千住だじゃれ音楽祭〉を研究対象とし、そこで探究される「だじゃれ音楽」なる新たな音楽の形態と、行政が期待する「つながり」との相互関係を明らかにするものである。それによって、現代日本において制度的に規範化された関係としての「つながり」やそれに基づく音楽観を相対化するとともに、その只中において別様の関係や音楽のありようを模索する「ポスト関係論」的な音楽研究の可能性を提示することを目指す。 だじゃれ音楽において見られる「だじゃれ的」な関係とは、思いついただじゃれをつい言ってしまうように、内的な必然性にしたがってふるまうことで、外的な規範から「浮いた」ままの状態を保つような関係である。一方このような関係は、「つながっているか、いないか」を問う行政的なつながりの規範に基づくと、「つながっているような、いないような」ものとして映り、それによって両者の関係は「浮いた」ままにされ、音楽実践の制度的な基盤は保たれ続けている。 以上の記述を通じて、人類学者にとっての関係概念や音楽概念を対象に即して組み直していく戦略としての「ポスト関係論」を、あらゆる関係へと開かれているがそれ自体は関係に満たない「プロト関係論」によって実行することを試みる。
著者
上橋 菜穂子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.583-601, 2021 (Released:2021-07-06)
参考文献数
25

本稿は、自らの物語執筆の過程をふり返り、文化人類学を学んできたことが、物語執筆と、どのように関わっているかを明らかにしようと試みたものである。 文化人類学と出会い、学び続けてきたことは、物語執筆に大きな影響を与えているはずだが、私はこれまで、そのことを、きちんと考えてみたことはなかった。学会賞をいただいたことを機に、初めて、真剣に自らの物語執筆と文化人類学の関係を考えてみたのだが、自分の思考の流れを追う作業は、近づくと消える逃げ水を追うようなもので、明らかにできなかった部分も多い。私にとって物語は「生み出すもの」であると同時に「生まれてくる」ものでもあり、執筆の過程には意識して行っている部分だけでなく、「自分の脳がなぜこういう動き方をしているのかわからない」と感じる部分が含まれているからである。 ただ、物語が生まれるきっかけとなる「いきなり頭に浮かぶ映像」が、実際の執筆に結びつくのは、特殊な「連想」が生じたときであり、火がついたように一瞬で広がっていくその「連想」には、私が文化人類学を学び、フィールドワークをしてきたことが深く関わっていることが見えてきた。人間の脳が物語を生み出す、ある意味普遍的な創作の過程に、個人の経験がどのように関わるか、わずかでも明らかにできているようなら幸せである。
著者
澤野 美智子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.4, pp.588-598, 2013-03-31 (Released:2017-04-03)
被引用文献数
1

Studies on Korean families have discussed the role of Korean women caring for their families from the viewpoints of the patrilineal system, patriarchy and Confucian culture. They have looked at situations in which Korean women must care for their families in an environment of male supremacy situations, and stress the importance of the extended 'sidaek' family (i.e., the husband's parents, siblings and relatives). However, in situations where women become ill-although they once cared for their family, they now need caring themselves-or can or will not answer to the family's demands, the family members must change and reconstruct their respective roles of caring. In my research, I have clarified how women and their families in Korea reconstruct their caring by taking care of each other, as the women, who had been expected to care of their own families, face illness themselves. Women's breasts are symbols of sexuality and motherhood. In Korea, the breast is not only viewed as attractive and full of feelings, but also as the repository for negative feelings. In that country, too, there is a disease called 'hwa-byung,' which is a culture-bound syndrome caused by such accumulated negative feelings as anger or dissatisfaction. Korean people think that diseases, not just 'hwa-byung,' are caused by the accumulation of negative feelings in the body. Connecting those factors, they believe that the cause of breast cancer is an accumulation of negative feelings related to their families. Married female breast cancer patients in Korea, in particular, tend to connect the cause of their illness with the self-sacrifice caused by pressure from their husband or the extended 'sidaek' family. They recognize that the burden of caring they had borne was caused by self-sacrifice, and view it is as related to the cause of their illness. Therefore, they start to place more priority on their own desires, and come to value their own importance in family life, so as to cure their illness or prevent a relapse of the cancer. The women attempt to cure their disease through the act of 'hanpuli' (dispelling), namely, by expressing their feelings or doing acts of self-improvement that could not be carried out while they were busy caring for their families. They begin to involve their families in their 'hanpuli,' which in turn changes the nature of care in the family. The patients deal with their husbands and extended 'sidaek' family members in different ways. While their husbands must strive to help out with household chores and show more understanding, the patients avoid contact with their extended 'sidaek' family so as to reduce their stress. That may lead us to think that the women perhaps do not view their 'sidaek' relatives as part of the family. Such observations differ from the conclusions of past studies on Korean families, which have emphasized the importance of the extended 'sidaek' family. The family is reconstructed in such a way that positive support is given to each member of the family.
著者
間宮 郁子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.306-318, 2012-09-30

Japan has more in-patient days than any other country, as well as the highest number of beds in mental hospitals as a ratio of the total population. People with mental disorders used to be hidden away under the law, either in the medical or welfare system, and suffered from a social stigma. In recent years, however, mental patients have left such isolated medical institutions and started to live among the general community, not as psychiatric patients but as persons whose will is respected and who can get social-welfare support. As that drastic paradigm shift happened rapidly, Japanese institutions for persons with mental illness have come to design various support systems in response. This paper describes the experiences of several schizophrenic persons who utilize a social welfare facility in Hokkaido: Bethel's House in Urakawa, which has developed unique ideas about dealing with schizophrenic symptoms. The members of Bethel's House diagnose their own symptoms on their own terms, and are able to study their physical conditions, sensuous feelings, and mental worlds through their own experiences of living in the community. They carry out that work studies with friends - the other members of Bethel's House - and develop and train skills for communication with their friends and the rest of the real world. The paper looks at the case of a woman at Bethel's House who had difficulty holding down a job because of voices she heard and hallucinatory delusions she saw. She only realized that the voices and hallucinations might be coming from her own mind after talking with the other members of the house. Although she suffered from the voices, she gradually gained skills to communicate with her "friends." The staff members of Bethel's House did not try to ignore the voices, but instead were told to greet them (the "friends" were just the voices that she had heard). The staff members also urged her to try to experiencing talking with her friends using those greetings. Through such daily communications, schizophrenic persons at Bethel's House, such as this woman, learn to have specific physical experiences using their own words, thereby constructing practical communities. We also found that medical institutions and welfare facilities in Japan have kept away schizophrenic experiences, having removed patients from the community in the context of psychiatric treatment, responsible individuals, and human rights. In contrast, Bethel's House lets schizophrenic persons live with their voices and hallucinations, meaning that they live in a continuous world that includes both the hospital and the outside world. On the other hand, some residents in Urakawa Town wanted to exclude Bethel's House from the community because they felt it was accommodating "irresponsible" or "suspicious" persons, or subsidizing non-working people with public monies from the town budget. Although individual daily contact was maintained between Urakawa residents and the members of Bethel's House, those exclusionary attitudes against social institutions meant that Bethel's House has come to function as an asylum for schizophrenic people in such situations, increasing the feeling of isolation in schizophrenic persons' lives, both internally and externally.
著者
久保 明教
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.518-539, 2007-03-31 (Released:2017-08-28)

1999年に販売が開始されたエンターテインメント・ロボット「アイボ」は、生活空間において人々の間近で動作する初めてのロボットとして多くの注目を浴びた。本稿では、アイボの開発と受容の過程を横断的に検討し、テクノロジーにおける科学的側面と文化的側面がいかなる関係を取り結ぶかについて考察する。科学およびテクノロジーを社会的ないし文化的事象として捉える研究は近年盛んになされてきたが、その多次元的な性質ゆえにテクノロジーを包括的に考察することには困難が伴う。本稿では、アイボという技術的人工物が科学的知識、工学的製作、日常的実践等の接点となっていることに注目し、異なる領域に属する諸要素が接続される様々な局面を分析することで、境界横断的なテクノロジーの動態を捉えることを試みる。そこで明らかになるのは、開発と受容の過程において、科学的要素と文化的要素が組み合わされる中でアイボの有様が方向づけられていったことである。開発過程においては、人工知能研究およびロボット工学上の成果である設計手法を基盤にしながらも、ロボットをめぐる人々の想像力に基づいた語りを工学的装置へと翻訳することによってアイボがデザインされていった。一方、受容過程においては、アイボ・オーナーの生活する空間に特有の日常的な事物の有様とアイボの機能システムの作動が結びつくなかで、アイボの動作が様々な形で解釈されるようになり、開発者の想定を超える意味をアイボは獲得していった。筆者は、開発者による工学的デザインとアイボ・オーナーによる解釈が科学的要素と文化的要素を組み合わせることで妥当性を生み出す営為であったと分析した上で、実在と意味を媒介するテクノロジーの働きにおいて科学と文化の相互作用が捉えられることを示した。
著者
深田 淳太郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.3, pp.391-404, 2006-12-31 (Released:2017-08-28)

The Tolai people in the province of East New Britain, Papua New Guinea, have long used a form of shell money called tabu. They use that indigenous currency for various purposes: as "bride price," as a valuable shown and distributed in rituals, and as a medium of commercial exchange. These days, the provincial government is planning to recognize the tabu as the second legal tender in the province alongside the kina, which is the legal tender for all of Papua New Guinea. In this article, I will consider how these two currencies coexist and relate to each other, especially as media of exchange. Analyzing several practical cases of transactions, I will show that the relation between the two currencies falls into three patterns, as follows: (1) The two currencies are used for discrete transactions that differ in terms of the goods exchanged, as well as the situation, and so on. For example, only the tabu can be used as payment for initiation ceremonies into a secret society, and only the kina can be used in stores in town. They form different spheres of exchange that are exclusive to each other and have their own intrinsic value. (2) Either of the two currencies may be used for transactions that deal with the same goods in the same situation. In such transaction, both the tabu and the kina form a common standard of value via a fixed exchange rate. For example, in small village stores, various goods are valued under this single standard and are sold in both currencies. And these days, one can pay taxes, court fines and other fees at the government office using either of the currencies. (3) Besides pattern (2), this pattern involves the use of both currencies for the same kind of transactions, without necessarily maintaining a common value standard between the two. The use of both currencies takes place in an incoherent fashion for the exchange of exactly the same goods in the same situation. Transactions of this kind are typically seen by small vendors who deal in snacks and small goods used after a funeral. Patterns (1) and (2) can be understood as a single model, in which the tabu and kina keep their own separate spheres of exchange while maintaining an overlapping common area in each of their peripheries. In that common area, the two currencies are used together for various transactions under a fixed standard of value. But, at the same time, transactions according to those patterns keep the clear distinction between the two spheres of exchange. Meanwhile, this single model does not include the other pattern, pattern (3), in which the tabu and kina are used for similar transactions without having a common standard of value. That means that the two currencies can coexist and be used together, albeit incoherently, without adjusting the value through an exchange rate. As described above, the model that integrates patterns (1) and (2) is not consistent with pattern (3). But that is never an either-or situation. The relation between the tabu and kina in Tolai society is what allows these three inconsistent patterns to exist simultaneously.
著者
木村 秀雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.383-401, 2007-12-31 (Released:2017-08-21)
被引用文献数
4

人類学は非常に厳しい環境の中にある。厳しい批評を受けて、民族誌という作品を書く力が減衰してしまっている。そのような状況の中で、批評が新しい民族誌の新しい方向性を切り開き、そこから生まれた新たな民族誌が再び新たな批評を生み出すという循環が成り立たなくなっているのだ。現在の世界を取り巻く状況を、世界無形文化遺産、特にボリビアの先住民であるカリャワヤを題材にして論じていく。そこから引き出せることは、世界無形文化遺産の制定は、危機にさらされた文化の保護を目的にしていて、そこで行われる活動は国際協力と似た性格を持つこと、職業的人類学者の書く民族誌は著作権を手放さない限り、究極的には人類学者の商売の道具であること、現地社会に調査の成果を還元するためには、無名の民族誌制作者として働くボランティアという立場もあるということである。そして最後に、複雑さをます世界の中で、民族誌の作成にも批評にも画一的な指針は存在しなくなっているが、そのことが逆に民族誌の自由度をますことにつながり、古いタイプの愚直な民族誌をも含め、民族誌の可能性は広がっていることが論じられる。
著者
内山田 康
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.158-179, 2008-09-30 (Released:2017-08-21)
被引用文献数
1

アルフレッド・ジェルは、美学的な芸術の人類学の方法は行き止まりに突き当たると言った。それはどのような行き止まりだったのか。この行き止まりを超えることはどのようにして可能だとジェルは考えていたのか。このような疑問に突き動かされて本稿は書かれている。ジェルのArt&Agency(以下AA)を批判したロバート・レイトンは、ジェルが芸術の人類学を議論する時、文化や視覚コミュニケーションを重要視しない点を批判した。もしも見直す時間が残っていたら、ジェルは、このような点を書き改めたに違いないとレイトンは言う。レイトンはジェルの作品全体の中にAAを位置づけなかったから、このような仮定が立てられたのだろう。私はAAをジェルのより大きな作品群の中に位置づけなおして、ジェルの芸術の人類学が前提とした認識論へ接近しつつ、その芸術の人類学で重要な役割を果たした再帰的経路の働きと、図式の転移について考察する。
著者
吉田 ゆか子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.11-32, 2011-06-30

モノやモノと人の関わりに注目する人類学では、人とモノの関係を主体-客体と位置づける一元的な視点に疑問を呈してきた。一方、仮面劇の世界では、演者は仮面というモノに導かれながら自分ではない何者かになろうとし、そこでは自己-他者(仮面)、人-モノ、主体-客体といった対立は常に揺るがされる。本論では、バリ島の仮面舞踊劇トペンに注目する。トペン上演を、具体的な人とモノとの相互作用によってたちあがるアッサンブラージュと位置づけその特徴を指摘し、またその中で演者と仮面の主-客の関係がどのように撹乱されるのかを考察する。くわえて仮面の物としての多様な性質(=物性)が、そのアッサンブラージュにいかに作用するのかを考察する。台本も大掛かりな舞台装置もなく即興的に演じられるトペンは、演者、仮面、伴奏楽器、伴奏者、観客が集うことから上演がたちあがる。先行研究によれば、上演中の演者は仮面を操りつつ仮面に操られるという二重の意識を有する。しかし、演技のモードによって、演者は仮面と一体化するよりも、むしろ仮面の物性を暴露するなど、両者の関係性は可変的である。また伴奏者や伴奏音楽との駆け引きや、移り気な観客たちの態度によって、仮面と演者のみならず、その他の人やモノの間の関係性もダイナミックに変化する。ここに発生的で移ろいやすく、脆さをも含むトペン上演というアッサンブラージュの特徴をみてとれる。本論では、その中で仮面が物理的に演者の身体に作用することや、不動で命なきモノであるという仮面の物性が、トペンの多様な表現と実践を生むことなどを指摘する。加えて、一定時間存在し続けるという物性をもつ仮面は、演技後も演者宅に持ち帰られて人々と関わる。この長期的に維持される仮面と人々とのもう一つのアッサンブラージュが、トペン上演というアッサンブラージュといかなる関係にあるのかを考察する。
著者
大場 千景
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.26-49, 2013-06-30 (Released:2017-04-03)

本稿の目的は、エチオピア南部で主に牧畜を営んで暮らすボラナの人々の口承史に関する語りの分析を通して、無文字社会に生きる人々が生起してきた無数の出来事をいかにして集団の「歴史」として構築し、その膨大な出来事に関する記憶を一致させ継承しているのか、そのメカニズムを解明することである。II章では、社会構造と密接に結びつきながら構築されてきた過去5世紀に及ぶボラナの口承史、その語りの場、語り手や聞き手たちについて明らかにした。また近年の学校教育や人類学者の介入、録音機器の普及に伴って語りの場が多元化していることを背景に口承史が新たに再編されながら語られているという現象について論じた。皿章では、広域で居住する14人の語り手から収集した口承史に関する語りを比較しながら、語り手間で共通に見られる語りのカテゴリーとパターンを統計的に整理した。その上で歴史語りの中で頻繁に言及され、出来事の生起を説明する因果関係論であるマカバーサに関する言説に焦点を当てながら、人々が出来事をある一定の周期によって回帰すると考えているということを明らかにした。さらに人々が共有している出来事の周期説が「歴史」を構築すると同時に記憶する役割をも果たしている点を指摘した。本稿の目的に対して得られた成果は以下にまとめられる。ボラナのもつ永劫回帰的な史観によって(1)生起した出来事のうちどの出来事を記憶するのかが決められてしまうこと、従って回帰史観は「歴史」に関する記憶を一致させるが、同時に、(2)回帰史観に支配されるがゆえに「歴史」が新たに創出され複数の「歴史」を生み出してしまうこと、さらに、(3)過去のみならず現在や未来までもが回帰史観に巻き込まれ、「歴史」化されていることが明らかになった。