- 著者
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與那覇 潤
- 出版者
- 日本文化人類学会
- 雑誌
- 文化人類学 (ISSN:13490648)
- 巻号頁・発行日
- vol.70, no.4, pp.451-472, 2006-03-31
本稿は、1879年に琉球王国を「沖縄県」として日本国家に併合した所謂「琉球処分」の政治過程とそれをめぐる同時代の様々な「語り」の検討によって、近代西洋との遭遇以降もナショナリズムの発生を抑制してきた東アジア世界の歴史的諸条件を明らかにしつつ、同時に現地住民の「民族性」を領土問題の正当化に動員するような政治体制の、東アジアにおける起源について再考することを目的とする。人類学における民族論の展開は、民族とは「差異の政治学」を通じて不断に構築されるプロセス-たとえばある社会問題が「A民族対B民族」の「民族間対立」として問題構成され続けることによって、「A民族」「B民族」が相互に排他的な実体的集団として人々に意識されるようになるという過程-であることを明らかにしている。そうであれば、国境画定作業において現地住民の集団的アイデンティティが政治的に資源化されるような議論の「場」が出現する時期を見定めることは、例えば当該地域におけるナショナリズムの発生を考察する上で肝要となる。従来、「琉球処分」において日本政府は日本住民と琉球住民との人種的・民族的同一性を併合の根拠にしたとされてきたが、一次史料から見るとそのようなイメージは必ずしも事実でなく、日本内地や中国の新聞記事からも琉球の一般住民の性格によって領土帰属を論じた議論は観察されない。さらに注目されるのは、同時代の欧米系メディア(米国人の著作や横浜居留地の英国系新聞など)には「日琉同祖論」に通ずる民族誌的知識や、生物学的純粋性・混淆性に立脚して人種間の優劣を議論する言説が見られるにも関わらず、日本・琉球・中国という東アジアのアクター諸国はそれを政治的な道具として動員していないことであり、その背景には国民形成以前の状態にあった東アジアの表象システム-「民族問題」を構成しないような論理と世界観の体系-が存在した。本稿はその歴史的実態を明らかにするとともに、そのような作業を通じて、研究領域として自己完結しがちな民族論や国民国家論をより普遍的な視野へと開くことを目指すものである。