著者
森 義信
出版者
大妻女子大学
雑誌
社会情報学研究 (ISSN:13417843)
巻号頁・発行日
no.15, pp.175-197[含 英語文要旨], 2006

「自由と不自由」という対概念は,古代・中世の西欧社会を理解する上で,極めて重要である。中世の法史料には「自由人」を意味するingenuus, liberあるいはfreier Bauerなどの呼称が見出される。また,11世紀のある叙述史料には,(1)貴族的な古来の自由,(2)国王の守護のもとにある自由,(3)生命とのみ引き替えにするという自由,(4)意志決定の自由が見出される。(1)は社会的な自由,(2)は政治秩序における一定の自由を示していると同時に,(3)と(4)は理念的な自由を示していると解釈される。草創期のフランク王権は,国境域に入植した軍事的植民者に自由を与えた。K.ボーズルは,かれらを「国王自由人」と呼び,かれらの自由を上記の(2)と似たようなものと見なしている。国王自由人は,しかし,国境を防衛しなければならなかったので,自由に移動することは許されなかった。かれらは9,10世紀になると,教会や修道院への自己托身の結果,荘園領民の地位に没落した。他方,中世の史料は不自由な従属民をservus, mancipium, ancila, famulus, collibertus, proprius de corpore, Eigenmann, Knecht, Schalkなどの多様な呼称で呼んでいた。かれらのあいだには,社会的に見て大きな差異があったはずである。土地を持たない不自由民は,主人に対して不定量の奉仕を義務づけられていたが,ボーズルによれば,中世盛期になると,かれらは課された職務,例えば開墾活動や使者役・運搬賦役の遂行の結果,自由をもつことを許されたとされる。さらに荘園領主のもとを離脱して国王都市に逃げ込んだ奴僕も,一年と一日の後,自由市民と認められた。このように,不自由民大衆は総じて社会的に上昇することができたのである。もちろん,その自由は上記(1)のごとき無制約ではなく,「不自由な自由」あるいは「自由な不自由」と形容されるものであった。ボーズルは,また,このダイナミックな変動の緩急・遅速が近世以降のドイツとフランスの発展,命運を規定した,と主張している。

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