著者
森 義信
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻女子大学紀要. 社会情報系, 社会情報学研究 (ISSN:13417843)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.1-29, 2005

人類の歴史は,コミュニケーションの形態上の変遷という観点からみてみると,当初は長いあいだボディ・ランゲージの段階にあり,ついでオーラル・コミュニケーションがこれに加わり,最終段階で文字文化が加わったと言える。手は,こうしたあらゆる段階で,重要な役割を果たしてきたし,いまも果たしている。(1)手と腕は物理的な次元で攻撃と防御の道具であり,指先と手は物を巧みに作り,操る。(2)手は,感情や意志を巧みに表現し,ときには言葉以上の表現力をもっている。(3)手は,身体のうちでもっともシンボリックな機能を果たす部分であると言える。(4)手と指は,数をかぞえて表示もできるし,文字の代わり,眼の代わりもする。こうした機能性のゆえに,古来,手には奇跡を起こす力があるとの信仰がうまれた。キリスト教世界では,イエスはライ病患者に手を触れて癒したとされ,また,中世フランスの国王は,「王の病気」と呼ばれたルイレキの患者に手で触れて,治癒する力をもっていたとされる。また,聖遺物崇拝の習慣がある西欧では,聖人の手や腕が切り取られて箱に収められ,手にかかわる病を治癒したり技量を上達させたりする霊験があると信じられてきた。かくするうちに,手そのものが身体から切り離された形で,絵画に描かれ彫塑にほられ,信仰の対象としてシンボル化されてきた。ユダヤ教やキリスト教における「神の右手」,イスラム教の「ファーティマの手」は,そうした一例である。ここには,信じるからこそ,手のもつ超自然的な力の恩恵に浴することができるという,共同幻想の世界があった。手は法行為の世界でも重要な役割を果たしてきた。西欧の古代・中世法においては,奴隷=手で捉えられたものは,奴隷主の手を経て解放されなければならなかった。宣誓は右手を挙げて行なわれ,契約や和解,承諾や合意に際しても,手は重要な役割を果たしている。このように手は,人格の表象,法的行為能力のシンボルとして機能していた。それゆえにまた,ゲルマン系の部族法典は,人が法律に違反したり,契約を破ったりすれば,手の切断をもって罰すると規定している。それは単なる刑罰としての身体切除を意味したのではなく,「民事的な死」の宣告であり,当該者は以降,法律業務に就けなかったのである。手の切断は一種の法的無能力を作り出したのである。宗教改革以降,手への信仰は廃れ,法律行為における手の役割は減少し,これにともなって手への刑罰も激減したものの,反面,近代以降,対面式のコミュニケーションや演技の世界における手の象徴的使用は,一向に衰えを見せていない。
著者
森 義信
出版者
大妻女子大学
雑誌
社会情報学研究 (ISSN:13417843)
巻号頁・発行日
no.15, pp.175-197[含 英語文要旨], 2006

「自由と不自由」という対概念は,古代・中世の西欧社会を理解する上で,極めて重要である。中世の法史料には「自由人」を意味するingenuus, liberあるいはfreier Bauerなどの呼称が見出される。また,11世紀のある叙述史料には,(1)貴族的な古来の自由,(2)国王の守護のもとにある自由,(3)生命とのみ引き替えにするという自由,(4)意志決定の自由が見出される。(1)は社会的な自由,(2)は政治秩序における一定の自由を示していると同時に,(3)と(4)は理念的な自由を示していると解釈される。草創期のフランク王権は,国境域に入植した軍事的植民者に自由を与えた。K.ボーズルは,かれらを「国王自由人」と呼び,かれらの自由を上記の(2)と似たようなものと見なしている。国王自由人は,しかし,国境を防衛しなければならなかったので,自由に移動することは許されなかった。かれらは9,10世紀になると,教会や修道院への自己托身の結果,荘園領民の地位に没落した。他方,中世の史料は不自由な従属民をservus, mancipium, ancila, famulus, collibertus, proprius de corpore, Eigenmann, Knecht, Schalkなどの多様な呼称で呼んでいた。かれらのあいだには,社会的に見て大きな差異があったはずである。土地を持たない不自由民は,主人に対して不定量の奉仕を義務づけられていたが,ボーズルによれば,中世盛期になると,かれらは課された職務,例えば開墾活動や使者役・運搬賦役の遂行の結果,自由をもつことを許されたとされる。さらに荘園領主のもとを離脱して国王都市に逃げ込んだ奴僕も,一年と一日の後,自由市民と認められた。このように,不自由民大衆は総じて社会的に上昇することができたのである。もちろん,その自由は上記(1)のごとき無制約ではなく,「不自由な自由」あるいは「自由な不自由」と形容されるものであった。ボーズルは,また,このダイナミックな変動の緩急・遅速が近世以降のドイツとフランスの発展,命運を規定した,と主張している。
著者
森 義信
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻女子大学紀要. 社会情報系, 社会情報学研究 (ISSN:13417843)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.129-148, 2007

紀元前2世紀末、北欧のゲルマン系譜族が南下し、ローマを脅かす動きを示したことは書誌学的に証明できる。より良い居住地を獲得するための第一次の南下と移動は、ローマ人に撃退され、ゲルマン人は所期の目的を果たせず、都市や農村を略奪して北へ戻っている。ただし、この際に捕えられたゲルマン人は小グループに分けられて北ガリアに屯田兵として入植させられた。この時期の北欧は,温暖化による海面上昇の時代にあり,北海沿岸の集落では防潮のため,さかんに盛り土がなされている。ゲルマン系諸族は、第二次移動期において、ローマ帝国の国境域や領内での土地占取に成功した。4世紀末のアルデンヌ高地、5世紀前半のボーデン潮周辺地域では,長期にわたる低温化と悪天候が生じていたと推定される。ボーデン湖畔のアレマン人は越境を開始し、北海沿岸の二つの集落の住民も離村し、この集落は廃村となっている。西ローマ帝国は、ゲルマン系譜族の移動によって,476年に終焉を迎えた。文書証拠のない時代の民族移動を跡付けることは、歴史家にとっては困難を極める。本稿は、ゲルマン民族の移動という歴史現象を,気象学上のデータとつきあわせ,前者の原因を気象変動に求めてみるという、一つの試論である。
著者
近藤 浩文 福森 義信 平塚 純一
出版者
神戸学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

【研究の目的】メラノーマ細胞に特異発現し、その放射線抵抗性に関与すると考えられているTRP-2遺伝子の発現を抑制することによって、メラノーマ細胞の放射線抵抗性・DNA障害型化学療法剤への抵抗性を減弱させることの可能性を検証する第一段階として培養癌細胞レベルを実施し、「ブラックデビル」と恐れられているメラノーマに対する粒子線・放射線・化学療法等の治療効果増強法(増強剤)開発に結びつけることを目的とした。【研究実績】研究実施計画に基づき以下の研究を実施した。平成17年度は各種基盤評価技術の確立と検討する対照となる細胞系の確立に重点をおいた。(1)各種悪性黒色腫細胞を用いてTRP-2発現抑制法を検討した。Tyrosinase遺伝子発現欠損黒色腫細胞にTRP-2発現抑制shRNA発現プラスミドを導入した細胞株を作製した。(2)TRP-2遺伝子発現抑制による殺腫瘍細胞効果評価系の確立するため、X線に対する感受性評価系、紫外線に対する感受性評価系、およびDNA障害型抗癌剤であるシスプラチン系抗癌剤に対する感受性の評価系を確立した。(3)放射線感受性変化の機序を解明するため、TRP-2遺伝子発現量・黒色腫細胞内メラニンモノマー量と放射線感受性の相関関係解析のためHPLCを用いたメラニンモノマー定量系を確立した。平成18年度は、TRP-2発現と放射線抵抗性の関係を明確に出来る細胞系確立と評価に重点をおいた。(4)TRP-2遺伝子発現抑制による放射線感受性変化の機序を解明するため、TRP-2遺伝子を非メラノーマ系細胞であるHeLa細胞に導入安定発現する細胞を作成した。本細胞を用いれば、TRP-2遺伝子による放射線抵抗性がTRP-2蛋白質のみに依存するのか、それともメラニン生成機構と関連するのかを明確にできる。本細胞の色素細胞学的性質、細胞生物学的性質および分子生物学的性質を解析評価した。(5)作成した上記2種の細胞を用いて、紫外線抵抗性・放射腺抵抗性およびDNA障害型抗癌剤であるシスプラチン系抗癌剤に対する感受性を親株細胞と比較検討したが、現在までのところ、明確な結果は得られなかった。評価条件・手法を変更・改良して評価試験継続中である。