著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.116-146, 2008-03

笹森儀助(1845-1915)は『南嶋探験』の著者として著名である。『南嶋探験』は笹森が1893(明治26)年に約5ヶ月にわたって,沖縄本島はもとより宮古・石垣・西表・与那国,そして帰路に奄美の島々をまわり,辺境防備や資源探査,農村生活の視察,産業の実情などを調査した記録である。この記録は詳細であるが故に多くの影響をもたらした。 これまでの研究では,笹森の事績が徐々に明らかになっているものの,笹森はなぜ詳細な調査をすることができたのか,つまり調査以前と調査との関連,さらに詳細な調査はその後どのような影響を与えたのか,つまり調査後の展開などについては明らかになっていなかった。本稿では調査前については,士族授産事業(「農牧社」の運営)を通して多くの農業研究者や老農,そして農業研究施設から笹森が農業知識を吸収した点を明らかにして,南島調査に至ったことを説明した。さらに調査中には謝花昇(1865-1908)や知事の奈良原繁(1834-1918)とも会って,資料収集につとめるとともに,旧慣制度などについて議論している。こういったことが調査記録をさらに充実したものにしていた。 調査後の影響については,学問上の影響と政治上の影響があった。学問上の影響では,その後の沖縄研究の端緒を開いたといえる。これはその後に展開される「沖縄学」という柳田国男(1875-1962)や伊波普猷(1876-1947)などによる民俗学的な研究とは異なっていた。笹森の調査には地域振興や地域の自立という視点があったが,沖縄学ではそういった視点が希薄となる。笹森は南島調査の後,奄美大島で実際の行政に携わっているが,ここには地域振興や地域の自立という視点が遺憾なく発揮されている。また政治上の影響については,人頭税などの旧慣制度の廃止に大きな影響をもったということである。笹森によって記述された「圧倒的な事実」が政策批判につながった結果である。目 次1 はじめに2 士族授産と農業知識3 実態調査と詳細な記録 (1)調査の準備 (2)旧慣制度と生活実態 (3)糖業と土地制度 (4)調査の総括4 地域振興の実践5 地域振興と沖縄研究の展開

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