- 著者
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並松 信久
- 出版者
- 京都産業大学
- 雑誌
- 京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
- 巻号頁・発行日
- vol.40, pp.135-174, 2009-03
太田朝敷(1865-1938,以下は太田)は,明治・大正・昭和を通して活躍した沖縄を代表する言論人である。沖縄最初の新聞である『琉球新報』紙を創刊し,言論界で活躍した。言論活動では単に多くの新聞記事を書いたというのではなく,当時の沖縄社会に関する論説を発表し,経済社会問題を提起していた。これらの論説はまとめられて『太田朝敷選集』として刊行されているが,この著書が大部であるにもかかわらず,これまでの研究成果は数少ない。 太田の思想が注目されてこなかった理由のーつに,沖縄に特有の事象を扱っているために,日本とのつながりが見出せず,全国的な広がりをみせていないことがあげられる。本稿では太田が約8年間の在京経験をもち,そこで福沢諭吉(1834-1901)の思想から大きな影響をうけたことを前提にして,福沢の思想からの影響を明らかにし,沖縄社会において太田が自らの思想を形成した過程を考察した。 注目した点は,福沢の『文明論之概�』から大きな影響を受けていた点であり,それに基づいて太田の地域発展論が組み立てられたという点である。その中核となるのは福沢の「独立自尊」であり,太田は沖縄の独立自尊の途を模索したといえる。太田の「同化論」は現在でもよく知られているが,この同化論も沖縄の独自性あるいは主体性を前提とした主張であり,独立自尊に反することではなかった。むしろ,同化論に基づいて,沖縄の独自性を見出すための沖縄研究,産業の組織化,糖業をめぐる組合の形成などを積極的に進めるように訴えている。 太田は「沖縄県民勢力発展主義」という用語を使い,沖縄の独立自尊への途を示したが,実際には独立自尊の達成が困難であった。現実は太田の期待とは裏腹に,太田が明治期以来の沖縄は食客生活というほど,自立性を失っていく過程であった。この点で太田の地域発展論には限界があったともいえるが,太田が示した独立自尊の途は大きな示唆を与えている。