著者
山崎 幹泰
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会北陸支部研究報告集 (ISSN:03859622)
巻号頁・発行日
no.51, pp.463-466, 2008-07-27

明治32〜大正2年まで、山中温泉へ温泉客を誘致するため、馬車鉄道が利用されていた。今回、加賀市内に当時の客車が二両、現存していることが確認された。そこで、この二両の実測を行い、同時に同鉄道に関する資料の収集を行った。二両に共通する特徴は、唐破風形の屋根、前後の扉、ロングシート型の座席であり、異なる点は車体の長さと、和風洋風の意匠の違いが見られる点である。また、御者台と台車は、ともに失われていた。

言及状況

Yahoo!知恵袋 (1 users, 1 posts)

国、地域によって大きく違いますが、基本誰でも乗れます。 イタリア南部なんかだと、特権階級の人しか乗れませんでした。 長距離移動では汽車が用いられ、町を巡るには馬車が用いられました。 馬車が移動手段として確立したのは以外にも遅く、16世紀からです。基本的に貴族の乗り物でした。この馬車ブームに合わせ、都市の道、町と町を繋ぐ主要街道には馬車専用の溝が作られるようになりました。これを馬車道と ...

Wikipedia (1 pages, 2 posts, 2 contributors)

編集者: Tamrono157
2020-06-29 03:45:14 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

収集済み URL リスト