- 著者
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梅村 博昭
- 出版者
- 東京農業大学
- 雑誌
- 東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
- 巻号頁・発行日
- vol.53, no.3, pp.243-252, 2008-12-10
deja luとは「すでに読んだことがあるという認識」である。テクストを読む「わたくし」が,作品Bのなかに作品Aに似た何かを発見するとき,「わたくし」が作品Aをかつて読んだことがあるというまさにそのことが事態の本質をなしている。つまり生きられた体験としての間テクスト性を観察するとき,その中核をなすのがdeja luという概念なのである。本論では立松和平『性的黙示録』にあらわれる夜汽車の場面が,サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』におけるホールデンとミセス・モロウとの出会いに酷似しているという発見を糸口に,deja luが間テクスト的読解へと展開していく過程を考察する。そのさい,ある種の理論家が唱える理念的な「読者」概念と生身の「わたくし」の経験の落差を記述する,という手法をとる。標準的なロシア文学研究者が『性的黙示録』のなかに認めるdeja luはドストエフスキーの諸作品の痕跡であると考えられるが,生身の「わたくし」が体験したdeja luはサリンジャー作品の上記の場面なのである。そしてサリンジャーと立松を対比させながら読むという営為もまた,両作家の作品の意義の解明に通じていることを示す。