著者
森 哲彦
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.1-14, 2007-12
被引用文献数
1

神の存在証明についてヤスパースは「カント以来、誠実な思索にとっては、神の存在証明が不可能であることは確実である」(Jaspers:Glaube,32)とする。本論で見るようにカント自ら、この神の存在証明の不可能性を論証している。そこでは先行する哲学者たちの神の存在証明、つまり自然〔物理〕神学的証明、宇宙論的証明、および存在論的証明(デカルト的証明)は成立しえず、これらの神学、すなわち自然〔物理〕神学、宇宙論的神学、そして存在論的神学は、超越論的神学のゆえに批判される。しかしこのカントの主張は、理性の思弁的原理や認識論的立場からでなく、存在論的立場からの批判である。それゆえカントによれば「道徳諸法則が根底に置かれ」る「理性の神学」(A636,B664)は存在する。これがカントの道徳神学である。戦後ヤスパースは、先行する哲学者たちの「あらゆる神の存在証明を、カントが見事に論駁したあとを受けて、またヘーゲルが思想的には豊かだが安易で誤った仕方で再び神の存在証明を復活させたあとを受けて…今日では、神の存在証明を新たに哲学的に我がものにすることが、是非とも必要なことである」(Glaube,33)としている。しかも自らその必要性を急務としている。なぜなら神の存在証明を獲得しなければ「哲学者は、一般に何事も主張せず、何事も否定しえないところの懐疑的哲学の立場を取る。かまたは哲学者は、自分の立場を対象的に規定された知、すなわち科学的認識に限定して、我々は知りえない事柄については、沈黙を守るべき、という命題をもって哲学することをやめる」(Einfiihrung,40)と自戒する。本論で取り上げるカントの神問題については、問題史的、概念史的解釈を行う。しかし問題の概念史的解釈を行うには、それに先行して発展史的解釈が必要である。そのため本論ではカント前批判期と批判期(『純粋理性批判』)の発展史的解釈による小論(後掲引用・参考文献)を前提としているものである。

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