- 著者
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渡邊 二郎
- 出版者
- 放送大学
- 雑誌
- 放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
- 巻号頁・発行日
- vol.19, pp.47-77, 2001
シェリングは、18世紀末から19世紀前半にかけて活躍したドイツ観念論の哲学者であるが、先行のフィヒテに対しては自然哲学を、後続のヘーゲルに対しては積極哲学を提唱した点で、独自性をもつ。それは結局、自然の根源性と、論理で割り切れない歴史の不透明な現実とを、強調したことにほかならない。その自然観と歴史観は、21世紀を迎えた私たちに対しても大きな示唆を与える。なぜなら、現代は、自然の生態系との共生なくしては文明社会の存立が危ぶまれる時代であり、また、その地球上の共同社会のうちに未曾有の紛争や軋轢が生じている激動の時代、すなわち人類の歴史の行方が到底定かには見通せない時代だからである。シェリングは、終生、自然と歴史という二つの大きな問題場面を共に視野のなかに収めながら、包括的な思想体系を樹立することに精魂を傾けた哲学者であった。その点は、彼の諸著作に即して具に立証されうる。その際、とくに注意すべきなのは、自然のなかから人間が生まれ、その人間において自由と精神が出現し、こうして一方で、人間は、自然の頂点に立つとともに、他方で、宇宙の場を住処としており、人間は、精神と歴史という新しい過程の出発点に立つ者として、重い責務を背負っているとシェリングの見なしている点である。シェリングの自然哲学のうちには、生きた自然の強調、自然と精神の同根性への着眼、自然の自己組織性の指摘、自然の内的構成の原理的把握、物質の重視といった思想が認められ、きわめて現代性に富む考え方が提起されている。とりわけ、注意すべきなのは、万物を生み出す根源的な働きが、物質のうちに存在根拠を置くという仕方で具体的に展開すると見なされている点である。ただし、最初に現存するものとしてその物質のうちから、さらにより高次のあり方が自然の過程として順次展開されてゆくとシェリングは見ており、けっしてたんなる機械論的唯物論を説いたのではないことは付言するまでもない。自然のうちから、やがて人間が現れる。人間において、とりわけ重要なのは、人間が、その自由と精神の活動を、共同社会において、実践的行為によって展開してゆくとき、そこに、自他の自由を互いに尊重し合う世界市民的な法体制が、人類の歴史を通じて、ほんとうに実現されるか否かにあるとシェリングが考えている点である。しかし、歴史とは、いかにそこで人間が確信にみちて行為しても、けっして思い通りにはならないところにその本質があるとシェリングは見なしている。そこには、自由と必然性との葛藤という悲劇的なものが潜み、それを調停する絶対者を知りえないのが人間の運命であるとシェリングは考えている。したがって、人間がなしうることは、ひとえに、歴史のうちに摂理があることをひたすら信じて、苦難のなかを理想に向けて努力し精進するという過程だけなのである。こうした悲劇的な人間観が、初期から晩年に至るまで、シェリング哲学の根底に伏在していると見てよい。