- 著者
-
井上 史
- 出版者
- 同志社大学
- 雑誌
- 社会科学 (ISSN:04196759)
- 巻号頁・発行日
- vol.84, pp.1-19, 2009-07
先に発表した拙稿「一九六〇年代の同志社生協--機関誌『東と西と』を通して」(『社会科学』第八一号、二〇〇八年七月)に続き、一九六〇年代末から一九八〇年代前半の同志社生協の足跡を整理し、大学生協運動史の一斑を考察する。資料とするのは、同志社生協の機関誌『東と西と』一九六七年一一月号から一九八六年一月号までの一九年分であり、これらは設立五〇年発祥一一〇年を記念して発行された『同志社生協史料集II「東と西と」第二期(一九六七〜一九八五)』(発行・同志社生協、編集監修・同志社生協五〇年史編纂委員会、二〇〇九年二月)に復刻されている。一九七〇年代、八〇年代は、九〇年代以降の現代の目から見れば、中間的な移行期であり、かつ現代の種が蒔かれた時代といえる。同志社生協の事業と運動も、七〇年代末に提起され、今日の大学生協運動の基本路線とされる「学園に広く深く根ざした大学生協」へと歩み出す変化と模索の渦中にあった。一九六七年六月の第一八回総代会を契機に運動偏重型・闘争型からの脱却に踏み切ったものの、大学、地域、職域を含むオール生協運動の民主的発展・強化に重点が置かれ、その結果、大学当局とも、また学内自治組織とも根深い緊張関係が続いた。日本経済は高度経済成長の最高潮から終焉期を迎えて、「狂乱物価」、インフレが学生生活を直撃し、産業構造・生活意識のすべての局面で「重厚長大から軽薄短小へ」「消費社会化」「情報化」が進むなかで、同志社生協は時代の変化の即応に苦しみ、経営的には停滞を余儀なくされた。一九八六年四月の田辺校地開校に至る、そしてその後も続く、長い模索の始まりでもあった。その変化と模索の中から今日的な意義や希望を見出すことができるか。本稿の狙いであり、課題である。