- 著者
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寺本 明子
- 出版者
- 東京農業大学
- 雑誌
- 東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
- 巻号頁・発行日
- vol.54, no.2, pp.148-154, 2009-08-15
キャサリン・マンスフィールドは,ロンドンで作家として生きようと,19歳で故郷ニュージーランドを後にし,結局二度と祖国の家族の元に戻らなかった。最愛の弟が戦時下の演習中に死んだことをきっかけに,マンスフィールドが自らの幸せな子供時代を作品に残すことを決意したというのは大変有名な逸話だが,実はその前から彼女はニュージーランドの思い出を題材にした作品を著している。その中の一つ,1912年に書かれた「小さな女の子」は,彼女自身と父親の関係に由来する作品である。作品中で,主人公の少女は父親を恐れている。彼はヴィクトリア時代の父親として彼女に厳しく接し,自分の家庭に課する厳格な規律に自信を持っている。少女は,父親への恐怖心から彼を避けるが,ある晩,悪夢を見てうなされた時に,父親にその感情を静められたのをきっかけに,次第に歩み寄り始める。マンスフィールドに関して言うと,彼女は正にヴィクトリア朝的な父親に反抗し,自分の思う芸術家としての生き方をしようとロンドンへ渡った。しかし,不幸なことに,彼女は次々と病に苦しみ,心も傷ついた。そのような経験を通して,彼女はニュージーランドでの家族との思い出の大切さに気付き,次第にありのままの父親を認め,受け入れるようになる。作品中の少女は転機を経験し,一種の啓示を受ける。そして,作者が,その少女の繊細な感情を描くことに成功しているのは,少女が作者の経験や感情を映し出しているからに違いない。この論文では,「小さな女の子」を精読し,家族との思い出を書くことで自己を振り返り多くの作品を生み出した作家としてのマンスフィールドの出発点を明らかにする。