著者
寺本 明子
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.5-12, 2008-06-15

キャサリン・マンスフィールド(Katherine MANSFIELD 1888-1923)は,20世紀の短編小説の基礎を築いた作家である。彼女の作品にはドラマティックなロマンスも大事件も無く,有るのはありふれた日常生活と,そこに見られる登場人物達の繊細な感情である。喜びと哀しみ,憧れと幻滅,期待と落胆,好みと嫌悪,不安と安堵,情熱と諦めなど総ての感情が彼女の小説に織り込まれ,彼女は人間の性質だけでなく,日常生活に秘められた真実への深い洞察力をも発揮する。若くしてマンスフィールドは小説家になる夢を抱き,その為には,何でも知ろうとする好奇心を持ち,幸せな女性の人生経験を積むことが大切だと考えた。しかし不幸なことに,その人生は向こう見ずな結婚,続いて流産,離婚,数々の病気へと進んで行った。一方で,愛する弟の死によって,彼女は20才で見捨てた祖国ニュージーランドについて書くことが使命だと気づいた。軽率な生活のせいで患った病気に苦しみ,彼女自身の死を身近に感じることが,「生きる」ということについて書くきっかけとなった。「園遊会」('The Garden Party')では,ローラが楽しい園遊会の正にその日に,貧しい荷馬車屋の死に出会い,死の荘厳さを知る。「蝿」('The Fly')では,ボスが,インク瓶に落ちた蝿を助けるのだが,その蝿に数滴のインクを垂らして死なせてしまう。彼は蝿に,6年前に戦死した最愛の息子の姿をだぶらせる。このように「死」に関する話題を取り上げながら,彼女はまた,日常生活の中に「生」を発見し,その発見を感覚的に捉え,小説に描く。彼女にとって人生は,何か永遠なるものにつながる喜びの瞬間で成り立っているのだ。この論文では,上記の2つの作品を精読し,マンスフィールドの「生」に対する見方を研究する。
著者
寺本 明子
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.148-154, 2009-08-15

キャサリン・マンスフィールドは,ロンドンで作家として生きようと,19歳で故郷ニュージーランドを後にし,結局二度と祖国の家族の元に戻らなかった。最愛の弟が戦時下の演習中に死んだことをきっかけに,マンスフィールドが自らの幸せな子供時代を作品に残すことを決意したというのは大変有名な逸話だが,実はその前から彼女はニュージーランドの思い出を題材にした作品を著している。その中の一つ,1912年に書かれた「小さな女の子」は,彼女自身と父親の関係に由来する作品である。作品中で,主人公の少女は父親を恐れている。彼はヴィクトリア時代の父親として彼女に厳しく接し,自分の家庭に課する厳格な規律に自信を持っている。少女は,父親への恐怖心から彼を避けるが,ある晩,悪夢を見てうなされた時に,父親にその感情を静められたのをきっかけに,次第に歩み寄り始める。マンスフィールドに関して言うと,彼女は正にヴィクトリア朝的な父親に反抗し,自分の思う芸術家としての生き方をしようとロンドンへ渡った。しかし,不幸なことに,彼女は次々と病に苦しみ,心も傷ついた。そのような経験を通して,彼女はニュージーランドでの家族との思い出の大切さに気付き,次第にありのままの父親を認め,受け入れるようになる。作品中の少女は転機を経験し,一種の啓示を受ける。そして,作者が,その少女の繊細な感情を描くことに成功しているのは,少女が作者の経験や感情を映し出しているからに違いない。この論文では,「小さな女の子」を精読し,家族との思い出を書くことで自己を振り返り多くの作品を生み出した作家としてのマンスフィールドの出発点を明らかにする。
著者
寺本 明子 Akiko TERAMOTO
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.163-171, 2010-09

ヴィクトリア時代の上層中流階級の子どもとして育ったビアトリクス・ポターは,家庭教師がその教育を受け持ち,学校に行かなかった為,同年代の友達もいない生活であった。その様な寂しい暮らしの中で,絵を描き,小動物と触れ合い,ロンドン郊外の祖父母の家や,家族で行く避暑地の自然に心惹かれ,後に動物が主人公のファンタジーを生み出すこととなる。独立心旺盛なピーター・ラビット等,数々の動物を童話の主人公として描き出した。ピーターには,制限された実生活で彼女が成し得なかったことを託したものと思われる。ポターの絵は,博物学者の正確な観察力を見せ,動物達があたかも人間模様を描くかの様な文章と補い合って,珠玉の名品を生み出した。1890年にポターは,ウサギを描いた自分の絵を出版社に売ることに成功し,自信を得て,童話を出版することを思い付いた。その後,次々成功する出版の利益は,彼女が愛した湖水地方の土地を買うことに充てられ,ナショナル・トラスト運動の創始者の一人,ハードウィック・ローンズリーの影響もあり,自然保護運動の協力者として大いに貢献した。47歳で結婚してからは,作家活動から遠のき,羊を育てながら,農民として暮らした。動物や周囲の自然を描く作家としての生涯を経て,彼女は,農民として,自然保護者として生きる理想を実現した。
著者
寺本 明子 Akiko TERAMOTO 東京農業大学応用生物科学部教養分野 Foreign language studies(English) Faculty of Applied Bio-Science Tokyo University of Agriculture
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.53, no.4, pp.368-377,

英国が,進歩と繁栄の時代として誇るヴィクトリア朝は,一方で,工場の生産性至上主義,子供の奴隷,貧困者からの搾取の時代でもあった。そして当然のことながら,次の四半世紀にかけて,良い面を伝えるだけでなく,暗い影も落とした。当時の英国の知識人達は,社会にとって有害なこうした負の性質に恐れを抱いたが,そのうちの一人が,同郷のオスカー・ワイルドより2歳下の,ダブリン出身のジョージ・バーナード・ショーであった。ショーは,彼のやり方,つまり劇作を通して,社会を改良したいと強く願っていた。彼がギリシャ神話から題材を取り,1912年に書いた『ピグマリオン』は,そうした作品の一つである。主人公は,ロンドンの花売り娘イライザ・ドゥーリトルで,音声学者ヒギンズ教授の指導で,上品なレディーに変身する。この劇は,英国の階級社会への風刺であるように言われるが,私は,男女の性質の差に関するショーの見方を表すものと考える。『ピグマリオン』の登場人物を分析し,彼等を二つのタイプに分けることにする。一つは,ヒギンズ教授(敵役),ピッカリング大佐,アルフレッド・ドゥーリトル(イライザの父親)を含む男性のグループで,もう一つは,イライザ,ヒギンズ夫人,ピアス夫人(家政婦)を含む女性グループである。前者は,仕事や階級を表し,競争や独立独行を象徴する。後者は,協力的でありながら,それぞれ個を確立している。ショーは何を我々に教えているのだろうか。彼は,「偉大な芸術は,社会改良の情熱を持ち教訓的でなくてはならない」と考えていた。この論文では,ドラマツルギーの一つの要素である演繹法を解明することによって,『ピグマリオン』におけるショーのメッセージに迫った。The Victorian Age in England, so often boasted of as an age of progress and prosperity, was also an age of factories, of child slavery, and of exploitation of the poor, which was naturally followed not just by positive phases but by negative ones in the country over the first quarter of the next century. In those days the English intelligentsia was afraid of negative qualities which were harmful to society. Among them was George Bernard SHAW from Dublin, two years junior to Oscar WILDE. SHAW strongly desired to reform society in his own way, through his ability as a dramatist. One of his best examples was Pygmalion, written in 1912, whose title was taken from an old Greek myth. Its protagonist is Eliza Doolittle, who is transformed from a London street vendor who hawks flowers into a charming lady by Professor Higgins, a phonetician. Many have said that the play presents a satirical view of the English class system ; however, I see the play as an expression of SHAW's view of the gender gap. Analyzing the characters of Pygmalion, I divide them into two types : the male group which includes Professor Higgins (an antagonist), Colonel Pickering and Alfred Doolittle (Eliza's father), and the female group which includes Eliza, Mrs Higgins and Mrs Pearce (housekeeper). The male group represents a profession or class and symbolizes competition and self-dependence. The female group indicates individuality combined with a cooperative nature. What does SHAW teach us? He says that great art must be didactic with a passion for reforming the world. I clarify his messages in Pygmalion by elucidating his deductive style, an element of dramaturgy.
著者
寺本 明子
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.37-44, 2009-06-15

キャサリン・マンスフィールドの短編「風が吹く」は,形式のレベルにおいて,一人の少女の繊細な感情と対応する戸外の風を扱っている。彼女はある風の強い日に様々な感情-不安,苛立ち,孤独,反抗,憧れ,共感など-を経験し,彼女の感情の一つ一つが自然現象である戸外の風と密接に係わっている。素材のレベルから見ると,作品の内容はマンスフィールドの祖国ニュージーランドの思い出である。彼女は19歳で祖国を後にし,二度と戻ることはなかった。しかしながら,彼女はニュージーランドでの幸せな生活を決して忘れなかった。彼女の弟が1915年ロンドンに訪ねて来た時,この姉弟は幸せな子供時代の思い出を語り合い,彼女は当然のように,思い出の日々を書くことを自分の使命と感じた。そしてこの作品は,絵画性や音楽性を特徴とするが,透明性をも示している。「風が吹く」を堀辰雄の『風立ちぬ』と比べると,両者に共通点が多いことがわかる。前者におけるように,後者でも戸外の風が主要登場人物の繊細な感情と呼応して描かれている。そして『風立ちぬ』では,風が作品の起承転結に沿って扱われている。これら二つの作品を風や他の背景を通して読む時,私はその中心的テーマが,叡智に基づく諦観であるということに気付く。
著者
寺本 明子
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.264-273, 2008-12-10

キャサリン・マンスフィールド(Katherine MANSFIELD 1888-1923)は,19歳で祖国ニュージーランドを離れ,二度と戻ることは無かった。彼女にとって,イギリスで作家になることが人生の最大の目的で,その為に故郷は切り捨てられたのである。しかし,第一次世界大戦に際し,英国軍に入隊する為に来英した弟との再会により,故郷での幸せな子供時代の記憶が彼女に甦った。その弟の不慮の事故死により,彼女は,自分の使命はニュージーランドについての作品を書くことだと考えたのだが,この様な動機から生まれた短編小説群が,いわゆる「ニュージーランドもの」である。マンスフィールドの作品の中には,祖母と孫の関係が描かれたものがいくつかある。彼女の日記や伝記から,祖母のことが大好きだったことがよく知られており,その事実が作品に反映されていると考えられる。また,作品中のバーネル(Burnell)一家は,マンスフィールド自身の家族ビーチャム(BEAUCHAMP)一家と構成が似ており,子供の頃の彼女自身,祖母,両親,姉妹を彷彿とさせ,叔父,叔母,従兄弟達との交流も描かれる。そして,作品中には,人間関係だけでなく,人間性へも向けられる彼女の鋭い洞察が見られる。作品に登場する「祖母」は,孫との関わり方により様々に描かれるが,皆,心温かい女性である。その祖母像を,「新しい服」(`New Dresses')における第一段階,「船旅」(`The Voyage')の第二段階,そして,「前奏曲」(`Prelude')「入り江にて」(`At the Bay')の第三段階に分けて検証し,その違いや共通点を分析する。
著者
寺本 明子
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.292-298, 2010-03-15

産業革命により19世紀英国社会は未曽有の経済的繁栄を成し遂げたが,反面,社会構造に歪みが生まれ,負の遺産とも言うべき影響を,一般社会のみならず宗教界にも与えた。こうした社会情勢の中で1833年に始まったオックスフォード運動は,宗教界の体質改善を求め,英国国教会の惰眠状態を改革しようとするものであった。結局この運動は挫折したのだが,1863年にオックスフォード大学に入学したジェラード・マンリー・ホプキンズ(Gerard Manley HOPKINS)は,在学中,かつて運動の立役者であったピュージーやリドンの影響を受け,更に,カトリックに改宗したニューマンの著書を通して自身の信仰を見直すこととなった。そして彼は,1866年にニューマンの導きでカトリック信者となり,後に,カトリック修道会の中でも一番厳しい信仰生活を求めるイエズス会に入る。ホプキンズの改宗前の初期の詩は,英国国教会の家庭に育った素直な信仰を謳うものから始まり,次第にカトリック改宗に向けての彼の信仰上の苦悩が表れるようになる。その中の一つ"The Nightingale"を精読することによって,船乗りの夫を海で亡くす妻の姿を描きながら,国教会との決別を意識するホプキンズの心情を読み取る。