- 著者
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池田 黎太郎
- 出版者
- 日本西洋古典学会
- 雑誌
- 西洋古典学研究 (ISSN:04479114)
- 巻号頁・発行日
- vol.17, pp.22-27, 1969
この小論はOresteiaをθρασο&b.sigmav;に基づくδικηの否定という観点から論じようと試みる.周知のようにδικηはこの作品の中心になる重要な思想であり,それを主に「正義・裁き・報復」の意味に分ける.δικηはこの劇の中で,「正義の名によって敵を裁く行為が実は報復にほかならない」というパターンを構成し,報復は報復を呼んで悲劇的な悪循環を生ずる.これがアトレウス家に伝わる呪いの実態であり,オレステースの母殺しはその呪いの頂点に立つ.女神アテーナーはオレステースの罪を裁き,「自らの手」による報復行為を否定すると共に,劇の背後にある市民の抗争をも警告している.この報復のδικηをθρασο&b.sigmav;, τολμαとして把えようとする私の試みは,アトレウス家の呪いと,当時のポリスの問題の特質を示し,この伝承を劇化した作者の意図を明らかにすることができると思う.