著者
倉 真一 長谷川 司
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.41-61, 2010-03-05

大正時代、宮崎県そして青島が鉄道網の伸張にともない全国的な鉄道網に統合されていくなか、「日向青島絵はがき」は誕生した。当初、「日向青島絵はがき」の二大ジャンルは、「風景絵はがき」と「植物絵はがき」であった。これらの絵はがきを構成したのは、皇族や学者ら中央からの来訪者が「日向青島」にむける「統治のまなざし」や「科学のまなざし」であり、同時にローカルな生活世界における地元の人々による意味づけであった。その後、昭和に入ると「日向青島絵はがき」は大きく変容していくことになる。その変容過程の背景にあったのは、「統治のまなざし」や「科学のまなざし」にかわる「観光のまなざし」の優越化であり、「日向青島」とそのイメージが、ローカルな生活世界から「脱埋め込み化」されていくという二つの大きな変化であった。その結果、「日向青島絵はがき」における青島とそのイメージは「南国化」し、「白砂青松」にかわって「ビロー樹」をシンボルとする、「ビロー樹絵はがき」という新ジャンルが形成されていったのである。

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