著者
四方 由美 中野 玲子
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.129-148, 2006

本論文は、映像メディアで伝えられる従軍慰安婦問題をめぐる言説が視聴者にどのように伝わるかについて、視聴調査のデータに基づき分析を行なったものである。戦後60年を経た現在においても、従軍慰安婦問題は様々な歴史認識が交錯する問題の一つであり、「従軍慰安婦」をめぐっては、いくつかの言説が存在している。本論文では、それらを整理した上で、2001年に「従軍慰安婦」問題を扱ったNHKの番組が、どのような言説の政治の下で改編され問題となったのかを明らかにするとともに、この番組は視聴者の「従軍慰安婦」問題の認識にどのような影響を与えたかについて、番組視聴調査の結果から考察を行なった。
著者
川瀬 隆千
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.77-90, 2004

学生のボランティア活動が盛んだが,「組織内部の運営上の問題」や「地域(外部)との連携の問題」などの課題も指摘されている。本論は,コミュニティ心理学の観点から,筆者自身が顧問を務める「学生ボランティア部」(学ボラ)の活動を検討し,学ボラにおける工夫を取り上げることによって,学生のボランティア活動を支援する方策を考えるものである。学ボラのミーティングに注目し,その組織運営の方法を検討する。ミーティングはケースの検討が目的だが,問題を解決するために,メンバー全員が知恵を出し合うことにより,円滑に運営されている。円滑な運営が可能なのは,ケース情報や少年イメージ,担当者の悩みなどをメンバー全員が共有し,知識や経験を蓄積するシステムを持つためである。学ボラにおいては,ケース検討会や合宿,歓迎会や送別会など,さまざまなコミュニケーションの場を,半ばイベント化して用意することによって,宮崎家庭・少年友の会や宮崎家庭裁判所との連携を保持している。友の会や家裁の十分なバックアップがなければ学ボラ活動は滞ってしまう。連携は活動継続のためにも欠かせない。さらに,継続的にボランティア活動を展開するには,顧問が適切な役割を果たさなければならない。本論では,顧問の役割を,スーパーバイザー,地域連携の媒介者,参加型理論構治安の3つの観点から検討する。
著者
田中 宏明
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.145-167, 2007

チャールズ・ベイツ、トーマス・ポッゲ、そしてマーサ・ヌスバウムがコスモポリタニズムに関する議論をリードしていると言っても過言ではない。ベイツとポッゲは、ジョン・ロールズの正義論を出発点としながらコスモポリタン正義論を構築してきた。しかし、ロールズはコスモポリタンではなく、むしろコスモポリタン正義論の批判者であり、そして国際正義論を提起している。ベイツもポッゲもともにロールズの国際正義論には批判的であり、それぞれ独自のコスモポリタン正義論を提示する。そしてロールズの正義論を批判的に論じてきたのがヌスバウムである。本稿では、最初に、ロールズの国際正義論の概要を述べ、その立場からのコスモポリタン正義批判について述べる。次に、ベイツの『政治理論と国際関係』をもとに彼のコスモポリタン正義について考察する。ベイツはホッブズに依拠する政治的リアリズムを批判する中で、国際的相互依存の深化(今日でいうグローバリゼーション)にともなって国際社会と国内社会の類似性に着目し、そして国家を自律的存在とみなしうるのはすべての人間であると論じる。ベイツは、ロールズの正義論をグローバルに拡張し、グローバルな分配の正義論を展開する。さらにベイツはロールズの立場を社会的リベラリズムと捉え批判する。そしてベイツに対する批判も検討する。
著者
山口 裕司
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.199-211, 2002-03-20

日本の政治の問題点は様々である。そのひとつは女性議員の少なさではないか。全世界の国会(下院ないし衆議院)における女性議員の比率を比較すると,1位はスウェーデンの42.7%,日本は7.3%で87位である。このデータは何を意味しているだろうか。男女共同参画社会を標榜する日本において,政治の舞台でこれほど女性の参加率が低いのは問題ではなかろうか。国民の半分以上が女性であるので,衆議院における女性議員の割合は低すぎる。こうした低さの原因は様々であろう。この論考では日本における女性政治家の現状を国と地方の二つのレベルで紹介する。次にこれほど日本で女性政治家が少ないのは何に原因があるのかを分析する。そして,日本に女性政治家を増やすにはどのような課題があるのかを検討する。その場合クオータ(割り当て)制の導入が不可欠であることが述べられる。最後に女性政治家が増えることのメリットを考察する。
著者
倉 真一
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.1-15, 2012-03-02

本稿では、紀元二千六百年奉祝の一環として、1940年に大阪・枚方遊園で開催された「肇国聖地日向博覧会」(日向博)をとりあげる。日向博はこれまで言及されることがほとんどない、いわば忘却された博覧会であるが、残された資料をもとに考察した結果、以下の点が明らかになった。第一に、紀元二千六百年奉祝事業をめぐる地方間、新聞社間、鉄道会社間の競争と対抗関係から、宮崎県一大阪毎日新聞一京阪電鉄の間に連携が生じ、この連携のなかで同博覧会が開催されたこと。第二に、同博覧会は「聖地巡拝」という名の観光(聖蹟観光)をテーマとしており、それは「肇国の聖地・日向」の立体パノラマによるスペクタクル化によって表象され、都市中間層を聖蹟観光に動員しようとするものであったこと。第三に、「おきよ丸」による神武東遷の再現航海事業と日向博が結びつけられていたこと。その背景には、ともに神話あるいは肇国の聖地のスペクタクル化であるという両者の共通性が存在すること。第四に、日向博における都市中間層の動員、「聖蹟観光」における皇室ブランドの活用などは、戦後の宮崎観光(新婚旅行ブーム)に姿を変えて引き継がれていった可能性が示唆されたこと。
著者
田中 宏明
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.147-173, 2009-03-06

トマス・ペッゲは、現代においてコスモポリタニズムを提唱する代表的な政治理論家であり、ロールズの国際正議論の忌憚のない批判者でもある。ポッゲのコスモポリタン正議論は自らのグローバル正議論に基づいており、そのグローバル正議論は、ロールズに従って、社会構造、とりわけ社会制度の観点から提起されている。ポッゲは、西洋の豊かな市民が形成するグローバルな制度秩序がグローバルな貧しい人々に対して危害を加えており、それゆえ、西洋の豊かな国々には、危害を加えないという正義の消極的義務があると主張する。ポッゲの制度的アプローチによれば、危害を加える制度秩序を支える人は、もし危害を被る人の保護と制度改革の推進に向け道理に適った努力をしないのであれば、その制度に協力し、消極的義務を犯しているとみなされる。ポッゲが提唱する制度的コスモポリタニズムも社会正義コスモポリタニズムもともに、人権の制度的理解に基礎を置く。制度的人権は、「人権は消極的義務のみを伴う」というリバタリアンの制約のもとで理解されている。ロールズの正議論に依拠するように見えても、ポッゲの理論は、それをグローバルに拡大するコスモポリタニズムではなく、リバタリアンの規範を前提に構築されており、それがポッゲ批判の焦点となっている。
著者
田中 宏明 辻 利則 川瀬 隆千 竹野 茂
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.193-221, 2006

なぜ国際関係論を教育するかという問いに対してカントのコスモポリタニズムから回答できる。なぜならば、カントのみが戦争と平和、コスモポリタン秩序、そして世界市民教育ということを国際関係論において教育する理由をトータルに考える糸口を提供するからである。最初に、国際関係論におけるカント的伝統を否定的に規定している英国学派と、カントの平和論を肯定的に捉えそれに依拠するリベラリズムの代表的研究としてデモクラティック・ピース論を取り上げる。次に、カントのコスモポリタニズムについての理解を深めるために、国際関係論の議論の枠組みを越えて寺田俊郎らの哲学者の議論を踏まえ、カントのコスモポリタニズムについて考察する。ユルゲン・ハーバーマスによると、カントの平和連合の構想にいかなる問題があるか、そして現代のグローバルな情勢を踏まえて、カントのコスモポリタン秩序はいかに改めるべきかが明らかになる。さらに、カントのコスモポリタニズムの観点から、英国学派とデモクラティック・ピース論におけるカントのコスモポリタニズムの捉え方を批判する。最後に、世界市民教育とはどのようなものなのかをマーサ・ヌスバウムに依拠して考え、世界市民教育の立場から、国際理解教育とグローバル教育を批判的に検討する。
著者
大賀 郁夫
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.1-29, 2002-03-20

享保十一年,人吉藩預所である日向国椎葉山で横目役を勤める黒木六郎左衛門とその弟右田大六が,山中困窮を理由に杣山願を人吉藩に提出する。藩は「訳立難」として取上げないが,同十六年に至るまで六郎左衛門らは執拗に訴願を繰り返す。しかし藩が庄屋および願人らを吟味をした結果,六郎左衛門らの「私欲」によるものであると認定され,六郎左衛門は苗字取上げの上打首,大六は切腹を命じられて事件は落着した。しかし,この事件には不可解な問題が多く見られる。例えば六郎左衛門らの訴願手続きは合法的であり,公儀へ越訴や強訴,ましてや逃散したわけではない。訴願を繰り返しただけで死罪に処せられたのは何故か。六郎左衛門らも,再々度と訴願を執拗に繰り返したのは何故か。願書に連署した庄屋らが一切処分されないのは何故かなど,多くの疑問が残るのである。本稿では,「椎葉山杣山願一巻萬覚」などの基本史料を詳細に検討することにより事件の真相について考察し,この事件が宝永期の杣山請負における不正事件の告発で藩を揺さぶり,杣山願の許可を得ようとする六郎左衛門に対して,藩が彼らを処刑することで事件を隠蔽したものであることを明らかにした。
著者
住岡 敏弘
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.89-103, 2009-03-06

本稿は、アメリカ合衆国における人格教育に対する連邦政策の背景、政策の展開の特質と課題について明らかにした。人格教育運動は、1960年代以降の道徳教育方法の変化や若者の道徳の退廃状況に対して、アメリカが建国当初から重視してきた道徳教育を復興しようとする動きと捉えられる。その動きは、連邦政策のなかで学力向上政策と結びつき、人格教育に対する補助金事業をはじめ様々な連邦施策が開始された。人格教育に対する連邦政策の展開過程をまとめると、『危機に立つ国家』以降の学力向上への模索のなかで、学力向上に際して道徳性や規律の重要性が意識されてきた。その後、クリントン政権のもとでは、大統領自らが一般教書のなかで人格教育の重要性を訴える等、人格教育を推進していく連邦政府の姿勢が明確にされた。これらを背景として、『アメリカ学校改善法』のなかでは、人格教育に対する補助金がパイロット事業として制度化された。さらに、ブッシュ政権のもとで、『落ちこぼれ防止法』が制定され、同法のもとで人格教育補助金事業は正式な事業として位置づけられ、さらに連邦教育省の戦略プランにも「強い人格と市民性」の促進が掲げられるなど、人格教育は連邦教育政策のなかで確たる地位を確立してきたといえる。
著者
李 善愛
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.35-52, 2006

本研究は、村人が鯨とのかかわりを持って培ってきた地域文化に焦点を当てる。そして、村人の最後の捕鯨砲手や鯨肉専門店を営む韓国唯一の鯨解体士、3代目の鯨肉専門店経営者、鯨祭推進委員、漁業管理船船長とのインタビュー内容に基づき、1986年捕鯨モラトリウム前後における国際政治や社会変化の中、鯨とのかかわりを持ちながら築き上げていく地域文化の生成過程を明らかにする。
著者
大賀 郁夫
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.1-38, 2003-03-20

中世期以来,南九州地域に広くみられた門は,村落結合や百姓の日常生活単位であり,かつ領主の年貢賦課単位であった。その門は,近世期にはいり地域の領主権力によって様々な体制や制度のもとに編成されていった。日向国日杵郡山間部の門は慶長期には家父長制的経営体であると同時に年貢の賦課単位として位置づけられていたが,その後新領主有馬氏により新地開発と収奪強化が強行されヽまた自然災害による飢饉もあり在地構造は大きく変容する。それに伴い門も変化をみせ,特に寛文-延宝期を境に村々では門の再編成が進められる・高千穂郷岩戸村では慶長期に六四門であったが,一七世紀末には編成・消滅の結果六六門に増加すると同時に四組に編成され,この組が年貢賦課単位となっていく。門の編成は地域によって異なり,数門が組に編成されるほかに周辺門と併合して一門となったり,また単独の門のまま存続していく門もみられた。新たに再編成された門は,以後領主の年貢賦課単位として,また村内では小村的な百姓の生産・生活の基本単位としてなっていくことを明らかにした。
著者
田中 宏明
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.101-126, 2009

マーサ・ヌスバウムは、社会正義の三つの未解決の問題のひとつとして、正義をすべての世界市民に拡大するという問題を取り上げている。ヌスバウムは、この問題に対してケイパビリティが国際的な重なり合うコンセンサスの対象となりうる構想を提唱する。この構想がヌスバウムのグローバル正議論である。ケイパビリティ・アプローチには人間の尊厳に基づいた人の権原という構想が中核にあり、グローバル正議論はケイパビリティ・アプローチをグローバル化するアプローチである。ケイパビリティ・アプローチをグローバル化する際に制度が重視され、グローバル構造のための十原理が提起される。この十原理は、不平等な世界において人間のケイパビリティがいかに促進されうるかについて少なくとも考える手助けとなるものである。ヌスバウムのグローバル正議論はコスモポリタン正議論と見なしうる。ヌスバウムは、ロールズの政治的リベラリズムを受け継ぐにもかかわらず、ロールズの正議論と国際正議論には批判的である。ロールズの正議論において正義の主体が人間であるのに対して、ロールズの国際正議論においては民衆が主体となり、ロールズの正議論と国際正議論ともに、社会契約論にヒュームの正義の環境を結びつける理論に基づいて、契約の形成者と正義の主要な主体を合成するために、相互利益が得られるおおよそ平等ではない当事者を正義の主要な主体とは数えないという問題がある。ヌスバウムのグローバル正議論に対する社会科学者からの批判を検討する。最後に、コスモポリタン正議論としてのベイツ、ポッゲ、そしてヌスバウムの理論を検討し問題点を指摘する。
著者
有馬 晋作
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.1-14, 2008-03-07

2007年1月、宮崎県は官製談合事件の出直し選挙により元タレントの東国原知事が誕生した。保守王国宮崎で、無党派層の多くの支持を得た新知事は、全国的な注目を集めた。当選直後、議会はオール野党であり、行政手腕も未知数で県政運営を不安視する声もあった。だが、知事の県外への高い発信能力によって観光面の成果も現れはじめ、県民の高い支持も得ている。その行政運営は、選挙で掲げたマニフェストを用いたマネジメントを導入しようとしている。そこで本稿は、東国原県政の半年間の特色を、マニフェストをキーワードに分析する。
著者
田中 宏明
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.77-100, 2011-03-04

国際政治経済学にはアメリカン学派とブリティッシュ学派の間に「相互無視」という状態がある。ブリティッシュ学派の創始者の一人としてスーザン・ストレンジにその責任の多くが負わせられている。しかしながら、ストレンジは、国際政治経済学におけるブリティッシュ学派の確立ではなく、むしろ国際政治経済学という学問分野の確立をめざしてきたのである。ストレンジは、安全保障、生産、金融、そして知識からなる構造的権力に基づくリアリズムを主張し、そして既存のリアリズムには批判的であった。この立場からすると、古典的リアリズムの多極システム、ネオリアリズムの双極システム、そしてリアリズムの覇権国モデルが批判されることになる。そしてストレンジはグローバル政治経済のリアリティを直視するという意味でもリアリストであった。それゆえ、ストレンジは変貌するグローバル政治経済についての認識を欠くアメリカの政策とアメリカの国際政治経済学にはきわめて批判的であった。なぜならば、ストレンジは、アメリカの衰退どころかアメリカを非領土的帝国であると捉え、そしてグローバル政治経済において国家から市場へと権威がシフトし、グローバル・ビジネス文明が出現していると捉えたからである。さらに、ストレンジは、経済学の方法論を援用するアメリカン学派の国際政治経済学にも批判的であった。こうした意味でストレンジを批判的リアリストと呼べるかもしれない。最後に、アメリカン学派からの批判とそれに対するストレンジの反論を検討するとともに、ストレンジの国際政治経済学を批判的に考察する。
著者
住岡 敏弘
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.243-256, 2012-03-02

人格教育をめぐる政策としては、「人格教育における連携事業」(Partnership in Character Education Project)が有名である。この事業は、1994年に、クリントン政権のもとで成立した『アメリカ学校改善法』(Improving America's Schools Act)のなかで規定され、人格教育プロジェクトについて州政府に対する補助金規定が盛り込まれた。その後、ブッシュ政権のもとで2002年に成立した『落ちこぼれ防止法』(No Child Left Behind Act)においてもこの事業は引き継がれ今日に至っている。しかし、「人格教育における連携事業」創設以前にも、連邦政府は既に人格教育に対する補助金事業を行っていた。1981年10月には、『シティズンシップの原理の教授に教育分野の包括補助金を使用する権限を付与する法律(An Act to authorize the use of education block grant funds to teach the principles of citizenship)(PL97-313)』が成立し、レーガン政権下での『初等中等教育法』の改正法である『1981年教育統合改善法(Education Consolidation and Improvement Act of 1981)』チャプター2の包括補助金から、シティズンシップ教育プログラムの改善に対して補助金が支出することが可能になったのである。この規定にもとづき、人格教育プログラムの改善にも連邦資金が使われてきたのである。本論では、シティズンシップ教育に対する連邦政府の公的関与に対する本格的な分析の前段階として、同法成立に向け連邦議会で提出された法案ならび公聴会での論議についての確認を行った。
著者
四方 由美
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.63-73, 2010-03-05

本稿は、「宮崎における女性史資料保存の研究」として、宮崎における地域女性史の可能性を探ろうとするものである。研究の背景として、歴史学において常に客体であった女性が、歴史の主体として認識されるようになった経緯を述べた上で、歴史学が地域史を焦点化する過程、地域の女性たちが自ら語り・記述・保存する地域女性史について整理する。さらに、地域女性史の成果を地域別に比較し、成果が多くある地域の特徴を導き出すことにより、宮崎における地域女性史による女性史資料保存の可能性について探る。本稿では、女性史サークルの存在が果たす役割に着目し、愛媛県の2つの女性史サークルへの調査結果の考察をおこなった。また、宮崎において活動をはじめた女性史サークルの取り組みについても紹介する。
著者
四方 由美
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.89-102, 2003-03-20

メディア表現について異議を唱える際,その根拠に中立性に基づく客観的基準が求められ,「不快かどうか」を批判の根拠とすることは主観的であるとされる。「ジェンダーとメディア」研究では,ジェンダー概念が客観的で中立性をを持つものとして「ジェンダー」という語を用いることで,メディア批判に正当性を持たせてきたが,それはマイノリティにとっての「表現の自由」を「促進」しないばかりか,客観性を重んじる近代主義的行為であり差別の解消を志向するという意味からは欺瞞であるともいえる。本稿は,日本における「ジェンダーとメディア」研究の展開を概観しながら,ジェンダー概念を用いてメディア批判をすることについて検討し,「ジェンダー中立」の意味をとらえ返し,表現の自由は誰のためのものなのか,「快/不快」でメディア表現を語ることについてポスト構造主義の視角からその可能性を示したものである。
著者
田中 宏明
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.99-118, 2004

現代日本は愛国主義化している。その日本とはどのようなものであり、そしてそれがどのような問題をもたらすのか。こうしたことを考察するために、愛国主義への対抗軸とじてコスモポリタニズムを置き、それに「大きな政府とリベラル・デモクラシー」と「強い国家とネオリベラリズム」との対抗関係を交え、その中で特に、「強い国家とネオリベラリズム」と「民主的コスモポリタニズム」の対抗関係に注目したい。この対抗関係はグローバリゼーションの文脈における対抗関係でもある。これを軸に現代日本における争点となる問題を検討する。すなわち、憲法、教育基本法、そして歴史認識/戦争観について考えることにしたい。最後に、以上の議論を現代日本の課題としてまとめ結論とする。
著者
田宮 昌子
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.323-342, 2009-03-06

本研究は、戦死した親族(筆者の父方の叔父)の遺品を日中戦争従軍時のものを中心に整理し、史料として保存・公開することを目指す。目下、遺品として21世紀初頭の今日まで残った、20世紀初頭から中葉までの記録を留める品々を、個人の私有物から社会に共有される史料とするために裏づけ作業を加えている。関連する文献に当たることは勿論であるが、現場に実際に足を運んで文献では得られない実感を得ること、今まさに世を去りつつある体験者の肉声を聞くことも合わせて行ってきた。今年度は個人終焉の地である沖縄を沖縄戦慰霊の日の6月23日を挟んで訪ねた。小稿では主にこの沖縄訪問・調査について報告する。
著者
倉 真一 長谷川 司
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.41-61, 2010-03-05

大正時代、宮崎県そして青島が鉄道網の伸張にともない全国的な鉄道網に統合されていくなか、「日向青島絵はがき」は誕生した。当初、「日向青島絵はがき」の二大ジャンルは、「風景絵はがき」と「植物絵はがき」であった。これらの絵はがきを構成したのは、皇族や学者ら中央からの来訪者が「日向青島」にむける「統治のまなざし」や「科学のまなざし」であり、同時にローカルな生活世界における地元の人々による意味づけであった。その後、昭和に入ると「日向青島絵はがき」は大きく変容していくことになる。その変容過程の背景にあったのは、「統治のまなざし」や「科学のまなざし」にかわる「観光のまなざし」の優越化であり、「日向青島」とそのイメージが、ローカルな生活世界から「脱埋め込み化」されていくという二つの大きな変化であった。その結果、「日向青島絵はがき」における青島とそのイメージは「南国化」し、「白砂青松」にかわって「ビロー樹」をシンボルとする、「ビロー樹絵はがき」という新ジャンルが形成されていったのである。