- 著者
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植村 正治
- 出版者
- 同志社大学
- 雑誌
- 社会科学 (ISSN:04196759)
- 巻号頁・発行日
- vol.89, pp.21-47, 2010-11
本稿では,近代工業技術の日本への技術移転の一つの方法として,工学教育機関の設立が重要であったという視点から,明治初期工学教育機関である工学寮を取り上げて,その設立の経緯について細かく検討した。当初,明治政府は小学校と大学校からなる「工部学校」もしくは「工学校」という名称の教育機関を想定した。ところが,イギリス人教師の来日が遅れたため,当初の予定では明治5年7月だったのが,実際の授業開始は6年10月となった。しかも,開港したのは大学校だけで,小学校については遅れて開校したものの,10年6月には廃校となり,その年に工学寮は文字通り工部大学校に名称変更となっている。本稿では,主に工学寮開校までを取り扱い,イギリス人教師の人選,校舎の建設や配置,工学寮カリキュラムや諸規則,第1回入学生の内訳などを見てきた。これ以降の組織変更や,技術移転という視点にとって見逃すことのできない,工学寮(工部大学校)における工学技術の教育内容については別の機会に検討したい。