- 著者
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倉員 正江
- 出版者
- 佛教大学国語国文学会
- 雑誌
- 京都語文 (ISSN:13424254)
- 巻号頁・発行日
- no.7, pp.20-31, 2001-05-01
八文字屋本の代表的作者江嶋其磧は、当時近松門左衛門と併称される人気を誇った。近代以降井原西鶴の再評価に伴い、亜流と見なされた其磧の評価は不当に低下した。しかし模倣やコピーの氾濫は成熟した文化の産物である現実は、商業出版隆盛の当時も今も変わらない。近松の時代浄瑠璃の代表作「国性爺合戦」・続編「国性爺後日合戦」と、「国性爺」ブームに刺激されて書かれた其磧の『国姓爺明朝太平記』を比較すると、両者の相違が顕著に窺われる。其磧は安易に浄瑠璃や歌舞伎の見せ場に頼ることを廃し、長編小説としての構想を首尾一貫させることに腐心した。「国性爺」最大の見せ場三段目を改変し、寛仁大度の甘輝将軍像を強調している。さらに「国性爺」の粉本となった通俗軍書『明清闘記」を利用して、長編浮世草子に新機軸を打ち出したのである。