- 著者
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藤井 義博
- 出版者
- 藤女子大学
- 雑誌
- 藤女子大学QOL研究所紀要 (ISSN:18816274)
- 巻号頁・発行日
- vol.6, no.1, pp.17-24, 2011-03
宣長の自らの墓地定めは、平田篤胤や本居大平の言動が示唆するように学者としての一貫性を危うくするかもしれない思想信念における齟齬なのか、それとも弟子たちでさえ容易に把握することができなかったその一貫性故の帰結なのか、本論はこの研究的疑問を追究する試みであった。宣長は、古事記伝のなかで、持ち去る火が遠ざかりつつ本の跡に及ぼす光の喩えでもって、死者の魂はこの世から穢い黄泉国に去り往かねばならない悲しい定めにあるものの、去りながらなおこの世に留まり得ることを述べたが、研究的疑問は死者の魂についての2つの解釈の違いに由来することが示唆された。すなわちアイデンティティーを有するもの(死者の魂は黄泉国に去るかさもなければこの世に留まる)と把握するか、あるいは死者の魂は、後に遺された親愛なる者や後世の人の生活事象において活発な社会的存在と影響を持ち続ける作因(agency)であると解釈するかである。そして後者の解釈を採用するときにのみ、宣長の言動における一貫性が確認されるように思われる。倭建命(やまとたけるのみこと)の魂が草那芸剣(くさなぎのつるぎ)にとこしえに留まっているように、宣長は造った奥つきに魂が永く留まることを希ったが、そのとき宣長は自らの魂が後世の人に及ぼす影響力を考えていた。いわば後世の人々に向かってまっすぐに伸びてゆく玉の緒のような志を宣長は抱いていた。そしてその象徴が、山室山のすばらしい風景のなかに造った奥つきであった。塚には山桜の随分花のよい木を吟味して植えてもし枯れたときは植え替えるなど、宣長の奥つき造りはすべて人として行なうべき限りを行なうという信念に基づいての行為であった。しかし自身の死後に、奥つきが永きにわたって世の人に作用力を保持するか否かは「神の御はからひ」によることから、奥つきの名が永く言い伝えられてこそ、自らのいのちは永続するであろうと宣長は推し量った。このように宣長は、自ら造った奥つきが、後世の人において新たな感覚と行動を生み出す味を保持し続けることを視野に入れていた。