- 著者
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藤本 拓也
- 出版者
- 日本宗教学会
- 雑誌
- 宗教研究 (ISSN:03873293)
- 巻号頁・発行日
- vol.85, no.3, pp.693-716, 2011-12-30
二十世紀フランスの思想家エミール・シオランは、無信仰者と自己規定しつつ、一方で神への渇望をしばしば語っている。シオランの神に対するアンビヴァレントな態度は、メランコリー=鬱という情動と強く結びついたものである。すなわち、メランコリーにおいて神の喪失が悲しまれ、同時に、不在の神に対する憎しみや怒りが吐露されるのである。こうしたシオランの姿勢に窺われるのは、神を感じる主体の情動を問題にする思考である。言い換えれば、シオランは神の「存在」自体を存在論的に思考するのではなく、感じられるか/感じられないかという自身の情動ないし感覚の水準で神を捉えているのである。本稿では、虚無や空虚のような鬱的情動に根差した「無」に関わるシオランの語りを考察することにより、シオランが否定的情動の裡に神をどのように把握していたかを明らかにする。それにより、信仰/無信仰、有神論/無神論という二分法には収まらないシオランの「情動の神秘主義」と、そこにおいて語り出された特異な神観を解明する。