著者
中井 正弘
出版者
学校法人 天満学園 太成学院大学
雑誌
太成学院大学紀要 (ISSN:13490966)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.257-260, 2013

明治5年から同21年まで大阪造幣寮(現・造幣局)の御雇外国人技師として在日したウイリアム・ガウランド(1842〜1922)は,日本古墳研究のさきがけ者として,その功績は有名である。彼の撮影した大山古墳(仁徳陵)および石津ヶ丘古墳(履中陵)の写真2枚およびこれまでの研究・調査成果をふまえて,明治5年暴風雨により前方部中腹にて露出した石室・石棺がその場で単に埋め戻されたのでなく,墳頂に移設された可能性が高いことを明らかにし,非公開になっている陵墓の古墳研究の一助としたい。

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「したがって,今日の鬱蒼とした森林状の墳丘は筆者がかつて明らかにした明治時代中期の大規模な植林によるものである。(中井正弘1992年『仁徳陵この巨大な謎』p.132 創元社)」 https://t.co/W0yWnz6aUT
こんな論文どうですか? ガウランド撮影の大山古墳(仁徳陵)と石津ヶ丘古墳(履中陵)の2枚の写真の再検討:明治5年前方部中腹出土の石室・石棺の移設の可能性(中井 正弘),2013 https://t.co/IJ6IQtUpUL
こんな論文どうですか? ガウランド撮影の大山古墳(仁徳陵)と石津ヶ丘古墳(履中陵)の2枚の写真の再検討:明治5年前方部中腹出土の石室・石棺の移設の可能性(中井 正弘),2013 https://t.co/IJ6IQtUpUL

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