著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.46, pp.79-112, 2013-03

比嘉春潮(1883-1977,以下は比嘉)は明治期から昭和期にわたって活動した,沖縄史に関 する研究者である。研究者としてのみでなく,社会主義運動家としても,エスペラント語の普 及者としても知られている。比嘉は沖縄師範学校卒業後,小学校教諭となり校長にもなる。そ して小学校校長を辞したのち,新聞記者,さらに沖縄県吏となっている。1910(明治43)年 の伊波普猷(1876-1947,以下は伊波)との出会いによって,沖縄史に関心をもつ。1923(大 正12)年に上京して出版社の編集者となり,柳田国男(1875-1962,以下は柳田)のもとで民 俗学に関心をもつ。その一方で社会主義運動との関係をもち続ける。 上京後,民俗学を通じて沖縄研究を深めていく。しかし比嘉の場合,民俗学の視点からの 沖縄研究だけではなく,社会主義運動との関連から,社会経済史の視点からの研究も多く みられる。その業績は戦後に数多く出される。この沖縄研究にあたって比嘉は自らを「イン フォーマント」(informant)と語る。しかしながら『比嘉春潮全集』全5 巻(沖縄タイムス社, 1971-1973 年)というぼう大な研究業績から,比嘉が単なるインフォーマントであったとは考 えにくい。これまで比嘉に関する研究成果が出されているものの,多くの先行研究では,伊波 や柳田からの「影響」とされることによって,比嘉のインフォーマントとしての役割と,研究 者としての活動とが,つながりのないものになっている。 本稿ではこの比嘉の活動期を大まかに,(1)脱沖縄の意識と沖縄回帰の二重の矛盾のなかで キリスト教からトルストイズムに傾倒していった時期,(2)1910(明治43)年の伊波との出 会いをきっかけとする沖縄史への関心を深めた時期,(3)社会主義運動の先駆者となった時期, (4)柳田との交流をきっかけに民俗学研究に取り組んだ時期,(5)戦後になって数多くの著作 を発表した時期などに分けた。そしてこれらの活動期にしたがって,比嘉というインフォーマ ントの存在が,沖縄研究にとって重要な役割を果たしたことを明らかにした。比嘉は沖縄固有 の文化や方言などの情報や資料を「客観的」に提供することで,沖縄の歴史を伝える研究者と なった。比嘉はインフォーマントとして沖縄の「個性」を表現した研究者であるといえる。

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