- 著者
-
安田 三江子
澤野 純一
- 出版者
- 花園大学
- 雑誌
- 花園大学社会福祉学部研究紀要 (ISSN:09192042)
- 巻号頁・発行日
- vol.21, pp.15-29, 2013-03
禅宗に関心をよせる人の実践がさまざまな分野で私たちのくらしに大きな影響を及ぼし、くらしの創造に貢献している。その実態と理由の探求のため、禅宗及び禅仏教徒の思想と行動を研究することは重要であるといえよう。本稿では、児童福祉分野における実践者辻光文が、僧侶ではなく在家仏教徒としてみずからの道を生きていくようになるまでを考察することから、このテーマにせまる。若き日の辻は、他人のつらさにいてもたってもいられず、ほんものの生きかたを、切に探求し、苦闘のなかにあった。やがて、辻は師である柴山全慶を通じ、あらゆる場で禅仏教徒としての実践があることを体得する。そして、在家仏教徒としての道を歩むようになる。辻は、自ら及び向き合うひとやことがらに対し恐ろしいほどに真摯である。そこには「勢い」とでもいえるものがある。この「勢い」は、実は、禅仏教徒のひとつのあらわれではないだろうか。「勢い」が自らの行為が展開する「現場」への強い志向となり、実践となってあらわれ、その実践がさらなる実践をよび、「螺旋」のように展開していく。この禅仏教徒の「螺旋」こそが、人びとのくらしに大きな影響を及ぼす実践として展開していくのであろう。禅への理解を深めるとともにこの「螺旋」についての解明が今後のテーマといえる。もちろん、辻が在家として生きることになったのちの、福祉分野での実践の考察も、今後も、引き続き探求すべきテーマであることはいうまでもない。