著者
澤野 純一
出版者
花園大学
雑誌
花園大学社会福祉学部研究紀要 (ISSN:09192042)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.59-79, 2014-03

児童自立支援施設(当時の教護院)で福祉実践を展開した辻光文は、仏教者として本物の道を求めるにあたって、あえて僧侶にはならず、在家仏教者として生きる道を選択した。27歳の時に初めて児童福祉分野の仕事に出会い、その後、児童自立支援施設の小舎夫婦制を知るにあたって、自分の進むべき道を見出す。後年、辻の仏教者としての歩みと福祉実践者としての歩みは、同一線上に重なり、深い仏教理解による「いのち」への眼差しを根底に据えた独自の福祉実践が展開されることになるが、本稿では、両者の歩みが重なる以前の辻の悪戦苦闘の時代を取り上げる。この時代、辻は、仏教者としても福祉実践者としても苦闘の中にあったが、小舎夫婦制における子どもたちとの境目のない生活を繰り返す中で、子どもたちと辻自身を貫く「いのち」の存在を見つめてゆく。本稿は、辻が後に展開することになる「いのちそのもの」を「共に生きる」福祉の黎明期を考察する。
著者
安田 三江子 澤野 純一
出版者
花園大学
雑誌
花園大学社会福祉学部研究紀要 (ISSN:09192042)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.15-29, 2013-03

禅宗に関心をよせる人の実践がさまざまな分野で私たちのくらしに大きな影響を及ぼし、くらしの創造に貢献している。その実態と理由の探求のため、禅宗及び禅仏教徒の思想と行動を研究することは重要であるといえよう。本稿では、児童福祉分野における実践者辻光文が、僧侶ではなく在家仏教徒としてみずからの道を生きていくようになるまでを考察することから、このテーマにせまる。若き日の辻は、他人のつらさにいてもたってもいられず、ほんものの生きかたを、切に探求し、苦闘のなかにあった。やがて、辻は師である柴山全慶を通じ、あらゆる場で禅仏教徒としての実践があることを体得する。そして、在家仏教徒としての道を歩むようになる。辻は、自ら及び向き合うひとやことがらに対し恐ろしいほどに真摯である。そこには「勢い」とでもいえるものがある。この「勢い」は、実は、禅仏教徒のひとつのあらわれではないだろうか。「勢い」が自らの行為が展開する「現場」への強い志向となり、実践となってあらわれ、その実践がさらなる実践をよび、「螺旋」のように展開していく。この禅仏教徒の「螺旋」こそが、人びとのくらしに大きな影響を及ぼす実践として展開していくのであろう。禅への理解を深めるとともにこの「螺旋」についての解明が今後のテーマといえる。もちろん、辻が在家として生きることになったのちの、福祉分野での実践の考察も、今後も、引き続き探求すべきテーマであることはいうまでもない。