著者
浦 和男
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究
巻号頁・発行日
no.20, pp.3-16, 2013-08-31

明治になり、日本に近代の文学が確立する時期に、文壇でいろいろな論争が起こった。そのひとつに、「滑稽文学の不在」論争がある。20年代末、「太陽」の編集をしていた若き高山樗牛が、すでに文豪として高名な坪内逍遥のエッセーに対して、そのユーモア観を批難し論争が始まる。その論争は、「ユーモアとは何か」から「滑稽文学の不在」論争となり、やがて「文学における滑稽の不在」が問われ、それが「笑わない国民」という点にまで達した。執拗な樗牛の批判に逍遥は無視を決めていたが、最後には樗牛は「笑殺」、逍遥は「笑倒」という語を使うまでになった。一年ほどで二人の論争は鎮まるが、論争は飛び火し、地方紙でも「滑稽の不在」に関する記事が掲載され、明治末年まで「笑いのない文学」が論じられた。本稿では、「日本人はユーモアがない、笑わない」という問題の起源ともなる、この論争を考証し、近代ユーモア史の一面を明らかにする。

言及状況

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浦和男(2013)「滑稽の不在-明治文豪の論争」『笑い学研究』20号:『太陽』の編集をしていた若き高山樗牛とすでに文豪として高名な坪内逍遥の論争について。ユーモアとは何か;滑稽文学の不在;文学における滑稽の不在;笑わない国民… http://t.co/mzlm2fHGHX

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