著者
稲垣 久和
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
no.24, pp.140-164, 2014-03

日本のプロテスタントはその神学の営みの初期から世界観的思考を排除してきたし、そのことに気づいてこなかった。プラグマテイズムというよりもむしろ日本的霊性に影響されていたのである。民衆は仏教的救済観つまり「此岸から彼岸への移行」というレベルの福音の提示には何の魅力も感じていない。救済論中心の福音把握では仏教に基いた"日本的霊性"を凌駕することは不可能である。人間観と社会観と自然観において福音の包括性の豊かさを日本人民衆のニードに応じて提示する努力が必要であり、そのために十字架の贖罪愛を強調した賀川豊彦はモデルとなる。かつ、少子超高齢化社会に合ったケアの神学の開発が望まれる。またそれに見合う"愛の実践"が今後の日本宣教の課題である。

言及状況

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文意的には、個人の彼岸との直結が此岸の変容伴わぬなら無意味だ、という事で、同意。でも、此岸の内容が即座に市民社会や民主制参与として解されるの変でしょ。教会員には教会員の彼岸と此岸が、市民には市民の彼岸と此岸がある、と考えても良いんだからhttp://t.co/tsDKnKw3Xh
文意的には、個人の彼岸との直結が此岸の変容伴わぬなら無意味だ、という事で、同意。でも、此岸の内容が即座に市民社会や民主制参与として解されるの変でしょ。教会員には教会員の彼岸と此岸が、市民には市民の彼岸と此岸がある、と考えても良いんだからhttp://t.co/tsDKnKw3Xh

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