著者
田阪 仁
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 = The Bukkyo University Graduate School review. 佛教大学学術委員会, 文学部編集委員会 編 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.42, pp.119-136, 2014-03

伊勢斎宮は伊勢神宮祭祀のために都から発遣された斎内親王の居住施設とその運営に当たる役所があった所である。本稿はそれがなぜ皇大神宮(内宮)から遠く離れた神郡の西端に置かれたのかを考察する。それには、(1)水害の心配なく最も安定した土地、(2)恒例の禊に至便な河川に近い事、(3)官道に接し、かつ外港が発達して、人と物資の移動・運搬に適した水陸交通の要衝であることが不可欠の条件であった。この三条件を満たすのは宮川左岸と多気川右岸に当たる洪積台地の縁辺部しかない。それが後者に置かれた理由は、多気川流域には遅くとも六世紀以来の王権による土地開発があり、すでに天武の即位段階には八〇町もの土地を高市大寺(後の大官大寺・大安寺)へ施入し得るだけの政治経済的基盤がそこにあったからである。そしてそれは、斎宮跡の発掘調査においてこれまでに検出された官衙的遺構がすべて七世紀後半を上限としている事実と見事に符合しあうものである。斎宮的形(円形)天武胸形(宗像)氏金銅装頭椎大刀

言及状況

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