著者
野中 和孝
出版者
活水女子大学
雑誌
活水論文集. 文学部編 = The Kwassui review. 図書・学術活動委員会 編 (ISSN:21882983)
巻号頁・発行日
no.57, pp.162-148, 2014-03

冷泉家の祖藤原為相の母阿仏尼には、鎌倉下向時の十四日間とその後の旅の紀行文、『十六夜日記』が存在する。これは夫為家から一子為相に一度譲予された細川荘相続につき、同嫡男の為氏による相続不履行のための訴訟の旅であった。京を出発して第十二日目には、静岡県興津町あたりに到着し、「こよひはなみのうへといふ所にやとりて、あれたる音左右にめもあはす」(細川家永青文庫本)と記すが、この「なみのうへ」の解釈が地名と見る説と地名と取らない説とに分かれている。本稿では二つの観点からよりたしかな解釈を試みるものである。一つは中世前期女性の社会的地位という観点であり、その根拠には『法曹至要抄』という公家法の注釈書の存在がある。もう一つは文体としての女性日記の役割であり、当時の男性日記とは相違する『主観を書くことで自己の人生問題を世に問うてみる」という観点である。結論としては、「なみのうへ」は地名として記されたのではなく、阿仏尼の「人生の根源的な不安-女性の家・財産の所領という問題-がこめられているとする。

言及状況

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CiNii 論文 -  「なみのうへ」の解釈の再検討 : 阿仏尼『十六夜日記』の言述をめぐって https://t.co/te3ntm2g3a #CiNii

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