- 著者
-
原田 敬一
- 出版者
- 佛教大学
- 雑誌
- 歴史学部論集 (ISSN:21854203)
- 巻号頁・発行日
- vol.5, pp.21-41, 2015-03-01
本稿は、新出の史料である「従軍日誌」一編を使用して、「日清戦争」を従軍者がどのように描いているか、を追究した『歴史学部論集』創刊号以来掲載してきた論考の続きである。「従軍日誌」の著者は、混成第九旅団野戦砲兵第五聯隊第三大隊第五中隊に属する将校(下士官の可能性は完全には排除できていない)であり、一八九四年六月六日から翌年二月一四日まで日記を書き続けた。戦争が終わって後の清書や、整然と整理された刊行物ではなく、戦場という現場で書いていた日記と推測される。しかもこの執筆者は、日本の大本営が、日清戦争開戦前に、「居留民保護」を名目に朝鮮に派兵した混成第九旅団のうち、最初に派遣された部隊の一員であったという特色がある。参謀本部が編纂し、刊行した『日清戦史』全八巻には、中塚明氏や一ノ瀬俊也氏などにより遺漏や改ざんの跡がいくつか指摘されており、そのことも、「従軍日誌」という軍人自身の記述により再検討することができる。『歴史学部論集』創刊号に六月六日から七月二六日まで、同第二号に七月二七日から九月一四日(平壌総攻撃前日)まで、第三号に九月一五日(平壌総攻撃日)から一〇月二三日まで、第四号に鴨緑江渡河戦にむかう一〇月二四日から、鴨緑江渡河戦、九連城攻略戦を経て、冬期の鳳凰城攻略戦情報までを掲載した。本号は、朝鮮の義州での冬営、年末の九連城ヘの進駐と続き、二月一八日突然終わる。今回がこの『従軍日誌』についての最終報告である。