著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学日本文化研究所紀要 (ISSN:13417207)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.172-130, 2015-03

京都・上賀茂に1927(昭和2)年、上加茂民藝協團(以下は協團)という新作民芸品をつくる若い工人の集団(ギルド)が誕生した。これは当時の民芸運動の一環であった。民芸運動は柳宗悦(1889-1961、以下は柳)が主唱し、大正末期から昭和初期にかけて起こった。柳は1924(大正13)年から1933(昭和8)年までの約9 年間にわたって、京都を本拠地として活動した。この間に民芸という言葉をつくり、多くの同志を得た。そして河井寛次郎(1890-1966、以下は河井)との交友関係を通して、協團が結成された。 京都は伝統工芸が数多く残っている町であったが、協團は単に伝統を受け継ぐという理念のもとに生まれたわけではない。協團では染織作家の青田五良(1898-1935、以下は青田)と、木工作家の黒田辰秋(1904-1982、以下は黒田、後に重要無形文化財保持者)らが活動した。柳は個人作家と工人の協同生活の必要性を力説し、工人に対しては、共同作業を成立させるために厳しい倫理的制約を設けることを求めた。しかしながらこの理想は、収入源や倫理観の欠如によって結束力が弱まったために、達成できなかった。多くの協力者を得ながら、協團はわずか2 年半足らずで解散した。 しかし柳らの民芸運動は挫折することなく、新たに日本民藝館の設立や『工藝』誌の刊行など、むしろ活発になっていった。しかし日本民藝館のコレクションには、民芸の特徴に当てはまらないものが数多く含まれるなど、柳の本来の趣旨と外れたものとなっていった。柳にとって工芸とは、美術と同じ美的価値を基調とした概念になってしまい、これは協團がめざした方向とは明らかな違いを示していた。

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