著者
永井 聖剛
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.6, pp.44-56, 2003

江見水蔭「十人斬」(明二七・九)と田山花袋『重右衛門の最後』(明三五・五)は、もともと同一の事件(山間の小村における放火・殺人)をめぐる報告・記録として記述されたものであるが、その物語行為のあり方は対照的な相貌を見せている。「十人斬」では、犯人自身の自己言及によって放火・殺人に至る過去が構成されてゆくのに対し、『重右衛門の最後』では、当事者の声はつねに「あちら側」に疎外され、それに代わって、語り手が、噂・証言・推測・断言などあらゆる情報を総動員しつつイメージとしての重右衛門を編成してゆくのである。両テクストの相違点を、同時代の〈事実らしさ〉を装う物語行為の状況の中に位置づけようとするのが本稿の試みである。

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・「ふたつの〈事実〉 : 水蔭「十人斬」と花袋『重右衛門の最後』」『日本文学』52(6)、2003年。https://t.co/xbvRS4mOLI ・「自己表現の機構--島崎藤村「處女地」を視座とした表現指導の考察」『早稲田大学国語教育研究』24、2004年3月。https://t.co/klXlSglqRZ

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