著者
永井 聖剛
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.49, no.6, pp.33-44, 2000

田山花袋の小説は、三人称で書かれているのにもかかわらず、地の文の知覚主体が語り手なのか作中人物なのか判然とせず、結果、語りが一元化されてしまっているかのような印象を与えることが多々ある。そしてこのことは従来、「田山花袋と私小説」という物語を補強する役割を果たしてきた。本稿は、『田舎教師』のある同時代読者の読書の様態を考察しながら、「一人称的に読める」小説文体が、実際のところ、どう読まれていたのかを検証しつつ、「一人称的に読める」花袋の小説を、「私小説」とではなく、明治三十年代の「写実・写生の時代」との連続と差異のうちに評価し位置づけようとするものである。

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・「明治30年代の田山花袋--『ふる郷』から『蒲団』へ」『国文学研究』126、1998年10月。https://t.co/ZVlAgpAdTk ・「『田舎教師』・三人称を生きる読者 : ある同時代読者の読みをめぐって」『日本文学』49(6)、2000年。https://t.co/ouRK8cJwew

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