- 著者
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山内 清郎
- 出版者
- 教育思想史学会
- 雑誌
- 近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
- 巻号頁・発行日
- vol.19, pp.45-55, 2010
本コメント論文の主要な話の筋立ては、次の四点である。第一に、人間の存在を、物語的な存在と捉えることによって、物語が人間にとってはたす機能を確認する。そして、そうした人間の有様を、仮に「物語的理性」というように呼称することにする。第二に、野平氏が物語なるものの推移を語る際に大きな参照点としたベンヤミンによる物語についての論考をあらためて検討することによって、物語なるものを歴史的な条件から論究する際のやっかいさについて若干の指摘を行なう。第三に、物語なるものの論究のやっかいさを示す傍証として、アウエルバッハ『ミメーシス-ヨーロッパ文学における現実描写』より「オデュッセウスの傷痕」を、その物語の巧みな分析手法とともに紹介する。第四に、物語(論)が射程とすべき主戦場の範囲を明らかならしめることによって、物語(論)が、今後問うていくべき問題の領野、ならびに、そのための方法論への示唆を記す。