- 著者
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新山 喜嗣
- 出版者
- 日本生命倫理学会
- 雑誌
- 生命倫理 (ISSN:13434063)
- 巻号頁・発行日
- vol.24, no.1, pp.186-196, 2014
人生の終着点にある死の存在は、われわれにあらためて生の日々の大切さを強く実感させるが、このような死が生にもたらす意義が、われわれの心理的な側面を越えて、未来を指向する人生の価値といったより存在論的な側面にまで及ぶことを、分析哲学の時間論の座標上にわれわれの生を乗せつつ確認することを試みた。その過程で、「永遠に死ぬことがない」という妄想主題をもつコタール症候群に注目したが、本症候群における不死の主題が結びつくのは、生命の活力や未来の希望ではなく、むしろ一切の存在の価値を剥奪された人生に対する深い絶望であり、その理由を現代時間論の視点から検討した。すなわち、不死妄想においては死という視座が欠如するため、死の視座から付与されるはずの未来の輪郭が結像せず、その輪郭が生の価値へと生長することが永久に阻止されたままになると考えられた。このコタール症候群の臨床像は、未来から絶えず現在に収斂する存在論的な生の意義が、死が存在することによってこそもたらされることを、逆説的に示唆するものであると思われる。