著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.48, pp.255-280, 2015-03

本稿は昭和期に活躍した沖縄研究者である金城朝永を取り上げ,金城が唱えた「琉球学」の構想について考察した。これまで金城に焦点をあてた研究は数が少なく,その数少ない研究は「沖縄学」と金城の研究との関連を明らかにしたものである。しかも研究成果は主に1970年代に出されているので,沖縄返還(1972年)という歴史的背景に大きな影響を受けている。つまりこの歴史的背景によって金城の琉球学を見直そうとするものであったが,琉球学は消えてしまう。琉球学がなぜ消えてしまったのかは明らかではない。本稿は金城の研究業績の再評価をして,琉球学がなぜ消えてしまったのかいう問題について考察した。 金城は夭逝したこともあり,琉球学を体系化することはできなかった。体系的な研究成果も残していないので,琉球学は消えゆく運命にあったといえる。しかし言語,民俗,文学,歴史など広い分野にわたって多彩な研究活動をみせ,体系化の方向性はもっていた。これは今日における沖縄学がもっている排他的傾向とは異質のものであったといえる。もし琉球学という言葉に,積極的な意味を付与して考えるとすれば,伊波普猷に代表される沖縄学の系譜において,金城は言語学,歴史学,文学,民俗学など多様な分野にわたる研究を総合することを試みた唯一人の後継者であったといえる。1 はじめに2 伊波普猷の影響3 琉球語と民俗学4 沖縄学と琉球学5 結びにかえて―沖縄学の可能性

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