- 著者
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山内 清郎
- 出版者
- 教育思想史学会
- 雑誌
- 近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
- 巻号頁・発行日
- vol.24, pp.134-141, 2015
本シンポジウムでは「『公/私』枠組みの入れ籠的な二重構造」という課題設定のもと、同志社大学と新島襄、慶応義塾大学と福澤諭吉の事例が報告され、その解明のための論証がなされた。だが私学の「理念」という側面から見たとき、そこにはすでに先立って「神話化」と「世俗化」のせめぎ合いの場が存在し、『福翁自伝』ほかのテクスト・史料であっても、新島のエピソード・事件であっても、それらは、素朴に現実を表現する「開かれた窓」でもなく、また、歴史史料に対する懐疑派たちが言うような史実を反映しない「閉ざしてしまっている壁」でもなく、「ゆがんだガラス」としての「史料」「証拠」という意味合いをもっているのではないか。このように「証拠」「史料」を「ゆがんだガラス」と見立てる方法論にしたがえば、「『公/私』の枠組みの入れ籠的な二重構造」の複雑さにアプローチする別の方途がありうるのではないか。その方向性を模索した。