著者
川口 悠子
出版者
東京大学大学院総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センター
雑誌
アメリカ太平洋研究 (ISSN:13462989)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.227-242, 2006-03

本論文では、広島の原爆被害について、戦後日本ではどのような記憶が構築され浸透していったのかという問いを検討するため、1945年から1947年夏までの間の広島の状況と全国的な状況について、広島の地方紙と全国紙の記事の比較分析をおこなった。//第一節では、敗戦から占領軍の駐留開始までのあいだに、多くの日本人が原爆による被害の状況を知る機会があったことを示した。これは、敗戦によって日本政府の情報統制が緩み、原爆被害についての生々しい報道が数多くなされたためである。その後、占領軍(GHQ/SCAP)が到着し検閲を開始したため、原爆報道は急減していった。//第二節では広島の地方紙の記事とし当局者の発言の中で繰り返されたナラティヴの特徴を分析した。このナラティヴは、原爆投下によって軍事都市としての広島が消滅し、また世界平和が訪れたとして、広島はローカル・トランスナショナル双方の意味において「平和のシンボル」となったと主張するものだった。しかし、このような主張は必ずしも本心からなされたものではなく、むしろGHQ/SCAPの検閲の影響や復興資金獲得への動きなど、実際的な理由に基づくものだったと考えられる。//第三節では、前節で見た「平和のシンボル」論は、広島では報道はされたもののナショナルな文脈には位置づけられず、また全国紙は敗戦直後には原爆被害に多くの誌面を割いたにも関わらず、このような主張を報道することもほとんどなかったこと、すなわち原爆被害に対する関心にはローカルとナショナルなレベルでギャップがあったことを明らかにした。

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