- 著者
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川平 成雄
Kabira Nario
- 出版者
- 琉球大学法文学部
- 雑誌
- 琉球大学経済研究 (ISSN:0557580X)
- 巻号頁・発行日
- no.75, pp.107-128, 2008-03
1945年4月1日、米軍は、沖縄本島中部西海岸に上陸する。米軍の沖縄本島上陸は、沖縄戦の本格的な開始を意味し、同時に米軍政府による沖縄の占領統治の開始をも意味した。沖縄の住民すべてを巻き込んだ沖縄戦は、戦史上、類を見ない、極限の中の極限における戦争であった。壕に避難している赤ちゃんが母親のお乳が出ないのでよく泣く、泣き声が漏れて米軍に知られるのを恐れた他の人達から「口を塞いで死なしなさい。みんなのためだ」といわれ、また日本兵が「注射して上げようね、おとなしくなる注射だ」といって殺す。人が人としての感情を失うのが極限である。 米軍は上陸と同時に、強制による住民の収容、強制による住民の労働力を確保して、日本軍が"作戦的に"放置した飛行場の整備、新たな基地建設を推し進め、この対価として食糧・衣類をはじめとする生活物資の無償配給を続ける。「軍作業」・無償配給は、沖縄の住民にとって生命の綱であった。 このような状況の中、米軍政府は、沖縄における占領と統治、沖縄住民による"ある程度の自治"を認める。その端緒が45年8月15日の「仮沖縄人諮詢会」の設置であった。米軍政府は、「沖縄に対する軍政府の方針」を立てるが、その主要内容はつぎのとおりである。「沖縄の住民が漸次生活の向上と自己の問題に対する自由の回復を期待し得る安定した制度の設立は諸君が新に委任された任務を能く遂行することに係っている。米軍政府は引続き指導と物質的援助を与える。然し責任と管理は漸次沖縄の住民に移譲されなければならない」。そして8月20日に沖縄諮詢会が設置される。その24日後の9月13日には、米軍政府と沖縄諮詢会は組織的な地方行政を創設する必要から「地方行政緊急措置要綱」を公布、この第5条でうたわれたのが「年令二十五才以上ノ住民ハ選挙権及被選挙権ヲ有ス」という文言である。これにより沖縄の女性に参政権が与えられたのである。9月20日の住民収容12地区における市議会議員選挙、9月25日の市長選挙において、沖縄の女性は、日本政治史上、はじめて、参政権を行使したのであった。