- 著者
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赤嶺 健治
赤嶺 健治
- 出版者
- 琉球大学法文学部
- 雑誌
- 琉球大学語学文学論集 (ISSN:03877957)
- 巻号頁・発行日
- no.34, pp.p189-206, 1989-12
1889年の『アニー・キルバーン』は、1887年の『牧師の責任』と好一対をなしている。両者共トルストイの影響が濃厚で、当時の米国社会の工業化や都市化に伴う貧困、階級差別、不平等などとその解決策としての慈善事業の空しさや、社会改革を説く牧師の言行不一致に対する風刺と非難を織り込んだものである。ヒロインのアニーは父と共に11年間ローマで暮らしていたが、父の死後、「世のため、人のため」に尽すペく故郷ハットボロに戻る。彼女は田舎村だったハットボロにも工業化と都市化の波が押し寄せ、貧困や階級差別などが現実問題となっているのを見て驚く。当初彼女は上流婦人達との慈善事業で自己満足を得ようとするが、「慈善よりも正義を」と訴えるペック牧師の感化により真の同胞愛に目覚めて行く。トルストイ主義を説くペック牧師は、望ましい社会の建設にむけて「われら何をなすべきか」と問う人々に「自由・平等・同胞愛・正義を」と叫ぶ。その反面、同牧師は幼い娘を放任し、対人関係で冷たく受身的であるなど言行不一致の欠陥人間で、まもなく教会内の批判に耐え切れず、辞任して労働者むけ協同寄宿舎の建設に力を注ぐ決意をするが、突然事故死する。この作品はキリスト教牧師の口を借りて人間と社会のあるべき姿を鮮明に描いて見せる傍ら、その実現にむけた実行力と指導力に乏しい牧師と教会組織を厳しく批判するという、いわばコインの表裏の如き二面を備えている。