- 著者
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赤嶺 健治
赤嶺 健治
- 出版者
- 琉球大学法文学部
- 雑誌
- 琉球大学語学文学論集 (ISSN:03877957)
- 巻号頁・発行日
- no.33, pp.p1-18, 1988-12
1887年に出版された小説『牧師の責任』はウイリアム・ディーン・ハウエルズの関心が個人的問題から社会的問題へ移行したことを示す最初の作品であり、トルストイの人道主義の影響を反映している。この小説の中でハウエルズは新約聖書の「へブル人への手紙」やトルストイによって示された兄弟愛の教えに基づく彼独自の「連帯意識の思想」(the doctrine of Complicity)を主人公 Sewell牧師のロを借りて展開させている。田舎育ちの Lemuel Barker は Sewell牧師の過失によりボストンでの文筆活動に対する過大な期待を抱くようになり、ボストンへ出て来て牧師を訪ねるが、牧師は自らの過ちに気付きながら、Lemuelに故郷へ戻るように勧めるため、牧師に裏切られたと思い込んだ Lemuel は牧師宅を飛び出し、大都会の様々な誘惑やわなに翻弄されながら階層化されたボストン社会に対する不満と幻滅を募らせていき、結局は故郷へ戻ることになる。牧師は Lemuel の逆境について良心のとがめを感じ、埋め合わせに自分の教会での説教の中で日々の生活の中ですべての人が兄弟愛を実行するよう熱烈に訴える。このように実行力に欠ける Sewell牧師に理想的な人の道を説かせることにより、ハウエルズは組織化された宗教の無力さを批判すると同時に「連帯意識の思想」に基づく社会改革の必要性を訴えると言う二つの目的を果たしている。