著者
赤川 元章
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.19-41, 2008-04

ドイツの中国近代化への嚆矢は,清朝政府によって北京天文台長官に任命されたシャル・フォン・ベルによるヨーロッパ暦導入の17世紀中期にさかのぼる。だが,ドイツ・中国間の経済関係が本格的に開始されたのは19世紀の中期以降であり,ハンブルクやブレーメンの商人が広東を出発点とし,やがて上海・香港・漢口・天津・青島など交通要所と沿海部の大商業都市に営業基盤を築いて活動した。 中国を中心とするアジアへのドイツの経済進出はまたドイツ帝国主義の対外政策の中に位置づけられて展開された。本稿は,この経緯を実証的に確認する作業から始め,次に銀本位制下の中国経済社会の未発達な金融・商業機構,その中で「外国資本の活動を補助する土着中間商人」としての買弁および伝統的な金融業者,銭荘について考察する。いわば,国際銀行が活動する歴史的・社会的背景について解明するのである。 そのうえで,1875年,ドイツ銀行の東アジアからの撤退以降,次第に増大するドイツと東アジア間での商業取引と同地域における信用供与の必要性から,ドイツ政府は「海外ライヒスバンク」の設立を発案する。この構想は挫折したが,1889年,ディスコント- ゲゼルシャフトが幹事銀行となり,紆余曲折を経てドイツ主要銀行の大半の参加によってドイツ・アジア銀行が設立された。この設立のプロセスについて最近の研究成果を踏まえて追究する。論文

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こんな論文どうですか? 近代中国とドイツ・アジア銀行(赤川 元章),2008 https://t.co/eZZ8OI5yiV ドイツの中国近代化への嚆矢は,清朝政府によって北京天文台長官に任命されたシャル・フォン・ベルによるヨーロッパ暦導入の17世…

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