著者
高村 峰生
出版者
東京大学大学院総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センター
雑誌
アメリカ太平洋研究 (ISSN:13462989)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.95-111, 2009-03

論文Articles本論は、1994 年に発表されたティム・オブライエンの In the Lake of theWoods において、ヴェトナム戦争のトラウマ的記憶が、父親の自死の記憶と撚り合わせられながら、主人公ジョンの人生の様々な局面で噴出するさまを読解し、トラウマと仮構された因果性、及びそれを言語的に構築するナラティブの関係について考察している。オブライエンはこの作品において湖(や、そのアナロジーとしての鏡)を主人公ジョンのトラウマを照射し、彼の世界像を構成するような暴力的な根源として描いているが、本論ではそのような湖=鏡の説話的機能に注目し、作品において示唆される主人公や主人公の妻の湖の方への失踪を反復脅迫的なものと捉えた。湖=鏡は現実を映す表象機能のアレゴリーともなっており、オブライエンは鏡の前で奇術をする行為をフィクションの執筆行為になぞらえている。同様に、ジョンは自分(たち)を狂気から守るために、しばしば得意とする奇術を戦場で披露することで、把握不可能な現実の暴力の巨大さに対し防衛的に額縁を設定し、偽の「理解可能な」暴力の因果性を築きあげようとした。父の自殺は、ジョンをして自殺した父を殺したいという矛盾した欲望を抱かしめる。父という近しい存在の内なる暴力性はジョンの世界観に深く根を張る見えない脅威となるのだ。彼の奇術への傾倒は、シンボリックに父親を殺す行為の想像的な反復であり、ジョンはそれを通じて偶発的で統御不可能な暴力を彼自身の小さな世界の内に閉じ込める。作品において可能性として提示されているジョンによる妻キャシーの殺害というプロットについては、ジョンによるキャシーと父の同一視という解釈を示した。 様々なナラティブによる言語複合体として構成されたこの作品を通じて、オブライエンはトラウマの異種混交性と、フィクションと「現実」の相互浸透性を表現したと言える。

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